ミス・ユニバース1954とは? わかりやすく解説

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ミス・ユニバース1954

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 13:42 UTC 版)

ミス・ユニバース1954
ミリアム・スティーブンソン
開催日 1954年7月24日
司会者 ボブ・ラッセル
会場 アメリカ合衆国
カリフォルニア州
ロングビーチ市立公会堂
参加 33
入賞 16
初参加
不参加
再参加
優勝者 ミリアム・スティーブンソン
 アメリカ
好感度部門 エフィ・アンドロウラカキス
 ギリシア
前回 1953
次回 1955

ミス・ユニバース1954(Miss Universe 1954、第3回ミス・ユニバース世界大会)は1954年7月24日アメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチ市立公会堂で開催された。[1]33か国の代表が競い、ミスUSAで21歳のミリアム・スティーブンソンが優勝した。彼女はアメリカ人初のミス・ユニバースであり、前年のミス・ユニバース(1953年に優勝したフランスのクリスティアン・マルテル)から初めて栄冠を譲り受けた優勝者でもあった。これは初代ミス・ユニバースのアルミ・クーセラが1年間の任期を終える前にフィリピンの富豪と結婚してタイトルを返上し、2代目のマルテルに栄冠を渡せなかったためである[2]

スティーブンソンはミスUSAとミス・ユニバースのタイトルを同時に保持した最初のミス・ユニバースである(後のアメリカ人のミス・ユニバース優勝者はミスUSAのタイトルを手放さなければならなかった)。日本からは、後に女優になった近藤美恵子が参加した。

最終結果

ミス・ユニバース1954の参加国と最終結果

入賞者

最終結果 参加者
ミス・ユニバース1954
第2位
第3位
  • 香港 - ヴァージニア・リー・ワイチュン (Virginia Lee Wai-Chun)
第4位
  •  ドイツ - レギナ・エルンスト (Regina Ernst)
第5位
トップ16

参加者

ノート

初参加

再参加

1952年以来の参加:

不参加

辞退者

交代者

  •  ギリシア - エフィ・アンドロウラカキスはリカ・ディアリーナに交代した。

特別賞

参考項目

参考文献一覧

脚注

  1. ^ Facts on File Yearbook”. Volume 14. Facts on File News Services. pp. 256 (1955年). 2018年11月14日閲覧。 (要購読契約)
  2. ^ ミス・ユニヴァース結婚『朝日新聞』1953年5月6日夕刊3面
  3. ^ Veja”. Issues 1113-1119. Editora Abril. pp. 12 (1990年). 2018年11月14日閲覧。

外部リンク




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