マシューズ・サザン・コンフォート
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「イアン・マシューズ」の記事における「マシューズ・サザン・コンフォート」の解説
1969年にマシューズは、アメリカのカントリーミュージックとロカビリーに根ざしたデビュー・ソロ・アルバム『マシューズ・サザン・コンフォート (Matthews' Southern Comfort)』をレコーディングした。元フェアポートの同僚であるリチャード・トンプソン、サイモン・ニコル、アシュリー・ハッチングスに加えて、ギタリストのマーク・グリフィス 、ドラマーのレイ・ダフィーとジェリー・コンウェイ、ペダルスティールギタリストのゴードン・ハントリー、キーボード奏者のドリー・コリンズとロジャー・クーラムらと共にアルバムを制作した。これは彼のソングライターとしての最初の重要な経験だったが、バンドはニール・ヤング やイアン&シルビアの曲などもカバーした。その後、実働バンドとしてマシューズ・サザン・コンフォート (Matthews Southern Comfort、最初のアルバムの名前を流用したが、アポストロフィなし)を結成し、『セカンド・スプリング (Second Spring)』(1970年 – 全英52位) 『レイター・ザット・セイム・イヤー(Later That Same Year)』(1970年)という2枚のアルバムを連続してリリースした。 バンドは様々な異なるメンバー構成を経て、その後の2年間は広範囲に渡ってツアーを行った。ジョニ・ミッチェルの「ウッドストック」のカバーバージョンで1970年10月の全英シングルチャート1位のヒットシングルとなり、彼らは商業的成功を収めた。 それはカナダのラジオ放送でヘヴィーローテイションされて第5位に達し、1971年には米国のビルボード・シングル・チャートで最高23位を記録した。その後、マシューズはサザン・コンフォートを去り、 ハーベスト・レコードで自身のアルバム3枚をリリースした。 2019年6月25日、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』は、2008年のユニバーサルの火災で素材が焼失したとされる数百人のアーティストのリストにマシューズ・サザン・コンフォートを掲載した。
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