マインクー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:44 UTC 版)
西港建設後も、船舶交通の90%は、ライン方面への交通であり、当時はまだ運河が完成していなかったオーバーマイン方面への船は10%程度に過ぎなかった。この小さな輸送キャパシティを改良するためにマインツ市民とバイエルン王国はマインケッテ株式会社を創立した。この会社は、エルベ川やネッカー川ではすでに行われていた鎖牽引船をマイン川に導入する会社であった。川に流れに沿って鎖が設けられ蒸気ボート(マインクー)がこの鎖をたどりながら、速度5km/hrで川を上っていった。この蒸気ボートは10艘ほどの小舟を曳航することができた。1886年8月7日に、この鎖搬送システムはマインツ - アシャッフェンブルクの区間に設けられた。1891年には3艘の蒸気ボートがマイン川を行き来していた。その後、鎖搬送システムは1893年にミルテンベルクまで、1903年にキッツィンゲンまで、1908年にはバンベルクまでと、次第に延長されていった。 しかし、この鎖牽引船は、結局主流にはならず、一つのエピソードとして、1920年代に操業を停止した。鎖システムは、1940年まで川に敷設されたままであった。
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