ポール・ベント
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「デュケインのスパイ網」の記事における「ポール・ベント」の解説
ポール・ベント(Paul Bante)は第一次世界大戦中にドイツ帝国陸軍の兵士として従軍した経験を持つ。彼は1930年に渡米し、1938年に市民権を取得した。 ベントはかつてドイツ系アメリカ人協会の会員で、スパイ網の1人であるポール・フェーサはベントがイグナツ・T・グリーブル博士(Dr. Ignatz T. Griebl)なる人物と共にドイツ本国とのコンタクトにおいて重要な役割を果たしていたと主張した。グリーブル博士はグンター・グスタフ・ラムリック(Guenther Gustave Rumrich)と共に米本土における諜報網の確立に大きく関与していたが、1938年にスパイ容疑で捜査の手が及ぶと逮捕される前にドイツ本国へと脱出した。 ベントはポール・フェーサと共に英米間航路における軍需物資及び食料の輸送を監視していた。またゲシュタポのエージェントとして受けていた命令は、労働組合に働きかけてストライキを引き起こしドイツを支援する事だったと述べている。 セボルドはリトル・カジノ・レストランにてベントと会談した。この店はスパイ網メンバーの会談にて頻繁に使用されていた。ある会談でベントは爆弾の信管を用意するように告げ、ダイナマイトや雷管などをセボルドに渡したという。 逮捕後、ベントは外国代理人登録法違反に関する有罪答弁を行い、禁錮18ヶ月と1000ドルの罰金が課せられた。
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