ポーランド国民政府
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- 国民政府
- Rząd Narodowy
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←1863年 - 1864年 →
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(国旗) (国章) -
国の標語: Si Deus Nobiscum quis contra nos
もし神が我々と共にあるならば、誰が我々に敵対し得ようか -
1月蜂起時に国民政府が主張した領土 -
公用語 ポーランド語
ベラルーシ語
ウクライナ語
リトアニア語宗教 カトリック教会
ベラルーシ・ギリシャ・カトリック教会
ウクライナ東方カトリック教会
ビザンツ・カトリック教会首都 ワルシャワ - 国民政府議長
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1863年1月21日 - 1863年2月17日 ステファン・ボブロウスキー(初代) 1864年4月20日 - 1864年10月 ブロニスワフ・ブレジンスキー(最後) - 変遷
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1863年1月22日 1月蜂起が発生 1864年4月10日 - 11日 ロムアルド・トラウグットの逮捕 1864年8月5日 ロムアルド・トラウグットの処刑 1864年10月頃 国民政府解散
現在 ポーランド
ポーランドの歴史 | ||
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ピャスト朝 10世紀 - 1370年 |
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ポーランド人民共和国 1952年 - 1989年 | ||
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国民政府(こくみんせいふ、ポーランド語: Rząd Narodowy)は、ポーランド分割でロシア領となった旧ポーランド・リトアニア共和国地域で起こった1月蜂起の際に成立した臨時政府である[1]。
概要
ポーランド国民の大半はポーランド国民政府に税を納めており、国民政府をロシア帝国秘密警察は問題視していた。ノーマン・デイヴィスによると「ポーランド国民政府は世界最古の都市ゲリラ戦を組織した。」と言及しており、1月蜂起から70年以上も経過した第二次世界大戦ではポーランド地下国家のモデル国家となって独ソに対し抵抗運動を行った[2]。
国民政府の最後の独裁者ロムアルド・トラウグットが1864年4月10日から11日にかけロシアに逮捕されて、その後8月5日には処刑によって亡くなった事で蜂起は終焉した。
後世への影響
1931年1月21日、ポーランド第二共和国の大統領イグナツィ・モシチツキが1月蜂起で戦死した軍人と政府関係者にポーランド復興勲章を授与した[3]。
脚注
- ^ Davies 2005, p. 261.
- ^ Davies 2005, pp. 260–261.
- ^ Mościcki, Ignacy (1933年1月21日). “Zarządzenie o nadaniu Krzyża Niepodległości z mieczami poległym i zmarłym Powstańcom 1863 r.”. Internetowy System Aktów Prawnych. 2023年3月8日閲覧。
関連項目
- ポーランド国民政府のページへのリンク