ポルトガル支配の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 14:26 UTC 版)
17世紀にアジアへ進出したオランダ共和国がポルトガル船を拿捕したり、マラッカなどポルトガル植民地を奪取すると、ポルトガルの海上覇権は次第に衰えていった。しかし、オランダはゴアを何度も包囲したが、ゴアを陥落させることはできなかった。また、マラーター同盟の伸長により一時は副王が処刑されるなどの状態に追い込まれたが、その内紛に乗じて反撃に転じ、ゴアはこれまでの4倍となる3700km2にまで拡大した。19世紀初めにナポレオンがポルトガル本国を占領すると、ゴアがフランスの手に落ちることを恐れたイギリスに一時的に占領された。 その後、イギリスがインドに植民地帝国を建設した時も、ポルトガルはゴア、ディーウ、ダマンなどの都市の領有を保持した。 第二次世界大戦においてポルトガルは中立国の立場をとったため、ゴアは東アフリカのモザンビーク植民地のロレンソ・マルケスとともに、抑留されていた交戦国民の交換船による交換地となった。
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