ポルトガル宮廷を去る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:09 UTC 版)
「フェルディナンド・マゼラン」の記事における「ポルトガル宮廷を去る」の解説
1515年、北アフリカ遠征から帰ったマゼランはポルトガル王マヌエルに謁見し、その後ポルトガル宮廷を去っている。マゼランがポルトガル宮廷を去った詳細や理由についての確実な資料はないが、通説では、マゼランはポルトガル王に2つの依頼をし、拒絶されたからだと推測している。1つ目の依頼は2度も大怪我をした勤務の功績に対しての月俸の増額である。しかしマゼランが求めた増額の幅はわずかなものであり銀貨1枚分に過ぎず、これは金銭欲からの要求というよりも月俸に宮廷での地位と名誉が象徴される現状で自分の功績を認めて欲しかったからだとされている。ポルトガル王はこれを拒否する。続いて2つ目の依頼としてマゼランは東洋へ派遣される船の指揮を任せてくれることを求める。しかし、これもポルトガル王に拒絶される。通説では、ポルトガル王マヌエルとマゼランはマゼランの小姓時代から馬が合わなかったとも、謁見の際のマゼランの態度が当時の宮廷世界での慣わしに沿っていなかったからだとも言われる。あるいはマゼランがセラーンから得た情報で香料諸島はトルデシリャス条約(後記のトルデシリャス条約を参照)によってポルトガルではなくスペインの領域にあるとの認識を持っていたからだとも言われる。
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