ポスト・モダンダンス
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ポスト・モダンダンスは、20世紀のコンサートダンス(concert dance)形式の一つ。モダンダンス(modern dance)の作品性や表現の制約に対する反動として、ポスト・モダンダンスは、日常的な運動の使用を有効なパーフォーマンスアートとして認め、ダンス創作の斬新な方法論を主唱した。
どんな動作でもダンスであり、どんな人でも(トレーニングの有無にかかわらず)ダンサーであると主張する初期のポスト・モダンダンスは、ポストモダニズムの建築や文学的なムーヴメントよりも、むしろモダニズムのイデオロギーに親密であった。しかし、ポスト・モダンダンスのムーヴメントは急速に発展し、ポストモダニズムのイデオロギーを取り入れていく。このことは、ジャドソンダンス劇場(ポスト・モダンダンスの本拠地)から出現した多種多様なダンス作品に反映されている。
1960年代から1970年代まで長続きしたものの、ポスト・モダンダンスが大きく世に出たのは比較的短い期間であった、しかし、その遺産はコンテンポラリー・ダンス(モダニズムとポストモダニズムの混合)の中に生き続けている。そして、様々なスタイルの広範囲にわたるダンス作品を生み出すことになった、ポストモダニストたちの振付「加工法(process)」が打ち立てられたこと自体の中にも。
概要
初期ポストモダン・ダンス
1960年代初頭にポストモダン・ダンスという言葉が使われ始めた。その形成期の「ポストモダン」ダンスを特徴付ける定義は、当時のモダンダンスを棄却するダンスというものだった。この黎明期の振付師たちは、非伝統的な手法、例えば偶然/機会の手順 (chance procedure) や即興を試みた。偶然の手順は偶然/機会によるダンス (dance by chance) とも呼ばれ、「一連の動作において事前に決められた動きの素材や順序というものがない」という考えに基づいていた[1]。すなわち、この偶然の方法では、事前に振付師が動作を決めるというよりは、コイントスのような偶然によって動作を決めるということになる。しかし、厳密には偶然によるダンスはポストモダンダンスにおける新しい方法というわけではなく、マース・カニンガムに代表されるモダンダンスにおいてすでに取り入れられている発想であった[1]。このように、断固とした前身のダンススタイルの拒否にも関わらず、多くの初期のポストモダン・ダンスの振付師はモダンダンスやクラッシックバレエのテクニックを受け入れていた[2]。
分析的ポストモダン・ダンス
1970年代には、ポストモダン・ダンスに進展があり、新たな特徴が現れ始めた[2]。en:Sally Banesは1970年代のポストモダン・ダンスを表して「分析的ポストモダン (analytical postmodern)」という用語を作り出した[3]。 これはより概念的・抽象的で、音楽、照明、衣装、そして小道具などの(具体的な何かを示唆する)表現的な要素から距離をおくものであった。この哲学は、分析的ポストモダン・ダンスは芸術評論家のクレメント・グリーンバーグが定義するモダニズムの基準にダンスの世界が追いついたとも言えるものである[2]。分析的ポストモダン・ダンスは、踊り譜、作業や他の通常の動作を示唆する身体の構え、言葉の注釈、そして仕事を通じた個人的な表現から距離を置くことで、客観的なものとなった"[3]。ここにも、過度の単純性と客観的なアプローチを指向するミニマリズムの手法を用いている点で、モダニズムの影響が現れている[4]。
この時期のポストモダン・ダンスは、黒人の市民権運動、ベトナム戦争の反戦運動、女性の権利運動、LGBTの権利運動などの社会運動に影響を大きく受けている[2]。またアフリカ系やアジア系の伝統ダンス、音楽、そして格闘技の影響も多分にもられる[2]。
1980年以降
1980年代は、分析的ポストモダン・ダンスは退潮し、60年代と70年代を通じて棄却されてきた「意味の表現」に回帰した[3]。ダンスの型としては、80年代以降のポストモダン・ダンスは、統一的な型を持たないものの、いくつかの特徴は見出すことができる[2]。これは、アヴァント・ミュージックやポップ・ミュージックの世界で採用されたり[2]、国際的なメインの劇場などでもプレイされるようになった。また、初期の即興性を重視したポストモダン・ダンスとは対照的に、映画におけるダンスやレパートリーにも関心を示した[3]。
1980年のポストモダン・ダンスのさらなる特徴としては、物語の内容とダンスの歴史の伝統への関心である[2]。また、以降のポストモダン・ダンスでは70年代には距離を置いていた、意味の探究をさらに拡大する試みを行った。熟練した技術から、言語やジェスチャー体系、物語、自伝、キャラクター、そして政治的マニフェストなど、あらゆるものの意味をダンスにて表現する方向である[2]。
ポスト・モダンダンスの影響
ポスト・モダンダンスは以下の事柄を先導した
- コンテンポラリー・ダンス
- ダンス即興(dance improvisation)
- コンタクト・インプロビゼーション(contact improvisation)
- ダンス映像(dance for camera)
- ダンスとテクノロジー(dance technology)
- 「すべての動作はダンスである」という概念
- ポストモダンの振付「加工法」
参照: 20th century concert dance
ポストモダンの振付「加工法」
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ポスト・モダンダンスの創設者
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脚注
- ^ a b Minton, Sandra (2007). Choreography: A Basic Approach Using Improvisation. Human Kinetics Publishers. pp. 53. ISBN 9780736064767
- ^ a b c d e f g h i International Theory and literary practice, edited by Hans Bertens, and Douwe W. Fokkema, John Benjamins Publishing Company, 1997. ProQuest Ebook Central, https://ebookcentral.proquest.com/lib/northeastern-ebooks/detail.action?docID=622707.
- ^ a b c d Banes, Sally. Terpsichore in Sneakers: Post-Modern Dance, Wesleyan University Press, 2011. ProQuest Ebook Central, https://ebookcentral.proquest.com/lib/northeastern-ebooks/detail.action?docID=776783.
- ^ İnan, Şükriye (January 2014). “The Effects of Minimalist Movement on Painting, Arts and Music”. International Journal on New Trends in Education and Their Implications 5 .
関連項目
- w:en:Judson Dance Theater
- w:en:20th century concert dance
- w:en:Modern dance
- w:en:List of dance style categories
- w:en:Dance
- w:en:Postmodernism
(以上、英語版「postmodern dance」より翻訳・改変)
ポストモダンダンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:13 UTC 版)
ポストモダンダンスは、1960年代のアメリカで社会が政治と芸術における真理や理念に疑問を投げかける中で発展した。この時期は、芸術における社会的および文化的な実験が活発化していた。振付家たちは特定の流派や様式を作らなくなった。さまざまな時代のダンスからの影響は、さらに不明瞭かつ断片的になった。 ポストモダンダンスにおいて音楽が用いられないことはごく一般的である。
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