ボーアストラーの攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/17 14:17 UTC 版)
「フレンチマンズクリークの戦い」の記事における「ボーアストラーの攻撃」の解説
ボーアストラー中佐はフレンチマンズクリークに向かったが、11隻あった船のうち4隻は「夜の闇の中で迷ったか、経験の足りない漕ぎ手が流れに逆らって渡ることができなかったかで下流の橋の近くまで流され、戻らざるを得なくなった。」それでも残った7隻の船で上陸を強行し、バートリー中尉の第49歩兵連隊37名に抵抗された。ボーアストラー中佐が攻撃を率い、銃剣で向かってきたイギリス兵1人を拳銃で撃った。勢力で劣るバートリーの部隊が後退し、フレンチマンズクリーク橋まで追撃され、2人が捕虜に取られた。ボーアストラー隊はその後に、ブラックロック渡しから前進してきていたボストウィック大尉の率いるノーフォーク民兵2個中隊に攻撃された。その後の交戦で、ボストウィック隊は3名が戦死、15名が負傷、6名が捕虜となり、カナダ兵は撤退した。ボーアストラー隊は新たな問題に遭遇した。フレンチマンズクリーク橋を破壊するために用意していた斧の多くは、戻ってしまった4隻の船に載せてあったし、残った7隻に積んであった斧は岸に上がって戦ったときに船に置いてきてしまっていた。ボーアストラーはジョン・ウォーリング中尉の下に8名を派遣し、「見つけられる如何なる手段によっても橋を破壊させる」ことにした。ウォーリングが橋板の約3分の1をはがした時に、捕まえていた捕虜から「エリー砦の全軍がこちらに向かってきている」と教えられた。ボーアストラーは直ぐに部下を船に移らせてバッファローに漕ぎ帰ったので、ウォーリング隊が橋の所に残されてしまった。
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