ボノ・マンソ地方の最初の住民と文化
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「ボノ・マンソ」の記事における「ボノ・マンソ地方の最初の住民と文化」の解説
ボノ・マンソの地に本格的に人々が住み始めた時代、すなわちアカン族の国家が形成されはじめるのは、食料生産が始まってから鉄器時代の初期にあたるだいたい紀元前2500年から紀元後1000年の間くらいと思われる。このころのボノ・マンソ地方の考古資料は、キンタンポ文化に属するものである。キンタンポ文化伝統の遺跡群は、ボルタ川の湾曲部、ガーナの森林の北限地帯にごく普通にみられるものであるが、ベゴー地方とボノ・マンソの遺跡群は、その物理的、立地的様相が著しく異なっている。 ボノ=マンソ地方では、岩陰遺跡が多いが、ベゴー地方は、「野外集落(オープン・サイト)」である。この違いは、時代ごとの占地の違いではなく、実際にベゴー地方で、砂岩の露頭のような地層が露出した場所は見られないが、ボノ・マンソ地方では、ごく普通に砂岩の崖の露頭と岩陰がみられる。ボノ・マンソとベゴーでは、同じ文化であることを象徴する遺物が生産されていた。つまり、磨製石斧、石製ブレスレッド、溝状の装飾が施された石、「やすり」、粗製の風化した装飾のくしの破片がみられる。 ボノ・マンソ地方では、4ヶ所かそれ以上の製品製作をおこなう伝統を持つ遺跡が北半分で発見されているが、それは、標式遺跡であるキンタンポ遺跡により近接している場所である。ボノ・マンソの南西約20kmに位置するGyammaの古老たちが神聖な場所と考える遺跡はすべてキンタンポ文化の道具と密接な関係があり、遺跡の年代は紀元前1500年から同1100年の間に相当する。キンタンポ文化とボノ・マンソの最も古い土器については関連性を見いだせない。このことは、キンタンポ文化が築かれたのは、ボノの人々が来る以前かボノの人々が別の場所に住んでいた時代のどちらかであったことを示す。
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