ベルタ・ベンツによる歴史的な運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 01:00 UTC 版)
「ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン」の記事における「ベルタ・ベンツによる歴史的な運転」の解説
カールと結婚したベルタ・ベンツは、パテント・モトールヴァーゲンを社会に広めようと類い稀な行動をとった。1888年8月初頭、彼女はパテント・モトールヴァーゲン3号車を夫に内緒で持ち出し、自動車が長距離の移動に有用であることを実証するため自動車での初の長距離旅行に出かけた。正装したベルタは15歳のオイゲンと14歳のリヒャルトの二人の息子を連れてマンハイムから(歴史上初の給油所となる薬局での燃料補給のために)ハイデルベルクとヴィースロッホを経由し、彼女の実家のプフォルツハイムまで旅行した。 運転手と同様にベルタは運転時において整備士の役割も担い、気化器を彼女の帽子のピンで掃除したりガーターを電線の絶縁に使用したりした。彼女はヴィースロッホの薬局で給油し、ブレーキが磨り減ったため靴屋に革をブレーキブロックに釘付けしてもらい、後にこれはブレーキライニングの発明になった。プフォルツハイム到着後、彼女は夫に電報を打った後、実家で夜を過ごし3日後に戻った。旅程は計194 km (121 mi)だった。 ドイツではベルタ・ベンツの歴史的な旅行を祝ってクラシックカーによるパレードが隔年開催される。 2008年にはベルタ・ベンツ・メモリアルルートは1888年のベルタ・ベンツによる世界初の自動車による長距離旅行を称えて産業遺産の道路として公式に登録された。マンハイムからハイデルベルクを経由してプフォルツハイムまで行って戻る全行程194 km (121 mi)に標識がある。
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