プーチンと正教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 00:01 UTC 版)
ウラジーミル・プーチン大統領の「大国ロシアの復活」は、ロシア正教会にとっても歓迎すべき国家目標となった。 2012年3月、モスクワの救世主ハリストス大聖堂で、フェミニストパンク・ロック集団のプッシー・ライオットがプーチンを追い出すことを求める抗議行動を起こした。この事件によって、同年6月、信仰への侮辱を禁止する「信仰者の感覚擁護法」案が上院で批准したが、世論では意見が別れた。 2013年7月、プーチン大統領はクレムリンにキリル総主教を受け入れ、ルーシがキリスト教を受け入れた988年を記念して「ルーシ受洗1025年」を祝った。2014年のクリミア併合は、「第二のローマ」であるコンスタンティノープル(現イスタンブール)を睥睨する位置にあり、ロシア正教の歴史的復権に連なるもので、「クリミアは新しいエルサレムである」とプーチンは力説した。1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅亡して以来、モスクワは「聖なる第三のローマ」であるという「聖なるルーシ」信仰が生まれたが、そのことが背景にある。
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