プーチン - 森時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
「北方領土問題」の記事における「プーチン - 森時代」の解説
2000年9月:ロシアのプーチン大統領が訪日し、両国は「平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明」において「クラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続すること」と「これまでの全ての諸合意に立脚して、四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を策定するため交渉を継続すること」を確認した。またプーチンは「56年宣言は有効であると考える」と発言した。プーチンは2年前の川奈提案(平和条約によって四島の帰属の問題を解決する)は日本側の「勇気と熟慮の成果」であったと述べながらも、「妥協についての我々の考え方と完全には一致していない」として、帰属問題の解決については拒否した。 2001年3月:両国はイルクーツクで首脳会談を行い、イルクーツク声明において「56年日ソ共同宣言を交渉プロセスの出発点と位置付け、その法的有効性を文書で確認」し、「その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの日露共通の認識を再確認」した。
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