クラスノヤルスク合意(くらすのやるすくごうい)
会談がロシアのクラスノヤルスクで行われたことから、このように呼ばれる。この合意では「2000年までに日露間の平和条約を締結するよう全力を尽くす」ということが合意された。<2000年まで>と期限を定めた点が、従来からすると大きく前進したもの、と考えられた。
この内容からすると、「平和条約は2000年中に締結されるはず」である。しかし、2000年も残りわずかとなった今、情勢はほぼ不可能である。というのは、平和条約の締結に必要な北方領土の問題が、まだ解決されていないためである。
日ソ間の国交を回復した1956年の日ソ共同宣言では「平和条約締結後に歯舞・色丹を日本に引き渡す」と規定している。この宣言については、1993年の細川・エリツィン会談で合意された東京宣言で、ロシア側もその有効性を認めている。
日本側では歯舞・色丹に加えて国後・択捉も入れた4島の返還を求めている。しかし、ロシア側は「自国世論の同意を得ることが難しい」と主張して、なかなか返還に同意しない。
(2000.05.01更新)
クラスノヤルスク会談
(クラスノヤルスク合意 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 20:58 UTC 版)
クラスノヤルスク会談(クラスノヤルスクかいだん、ロシア語: Встреча в Красноярске[1])は、1997年11月に、ロシアのクラスノヤルスク市内を流れるエニセイ川の船上で行われた首脳会談である[2]。
- ^ Kommersant-Vlast - Google Books (ロシア語)
- ^ a b クラスノヤルスク日露首脳会談の概要(橋本総理のロシア訪問) | 外務省 - 1997年11月2日
- ^ 日ロ関係に関する東京宣言(1993.10.13)のこと。別の国際機関等による同名の宣言とは異なる。
- ^ История России в датах. Справочник - Жукова Л.В., Кацва Л.А. - Google Books (ロシア語)
- 1 クラスノヤルスク会談とは
- 2 クラスノヤルスク会談の概要
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