プーシキン自註でのガンニバル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:32 UTC 版)
「アブラム・ガンニバル」の記事における「プーシキン自註でのガンニバル」の解説
この註の最後で、プーシキンは、 「 ロシヤでは、アンニバールの不思議な生涯はわずかに家族の言い伝えによってしか知られていない。 」 (アンニバールはガンニバルのこと)、と断っている。小澤政雄訳『完訳エヴゲーニイ・オネーギン』を主な参考にして、プーシキン自身が描いた曾祖父の生涯を以下に要約する。 プーシキン自注の要約 私の曽祖父はアフリカ系である。ガンニバルはアフリカの贅沢な家に、15人きょうだいの末子として生まれる。海岸で誘拐され、船に乗せられたとき、姉ラガニは懸命に泳いで追いかけた。コンスタンティノープル経由でピョートル大帝への贈り物にされた。ピョートルはガンニバルを気に入り、代父となって、正教徒にした。ガンニバルの兄が弟を迎えに来たが、ピョートルは手放そうとしなかった。18歳になると、フランスのオルレアン公の軍隊で働いたのち、ピョートルの側近として仕えた。アンナ女帝の治世には、摂政エルンスト・ビロンに憎まれてシベリア流刑になる。ガンニバルは、親友のミニフ伯爵の忠告に従い、自分の領地に隠れ住んだ。エリザヴェータ女帝が即位すると、厚遇され元帥となり、女帝エカチェリーナ2世の時代に92歳で世を去った。彼の息子、イヴァン・ガンニバル中将(英語版)はエカチェリーナ女帝治下のもっとも優れた人物の一人である。
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