プロ選手として現役復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:54 UTC 版)
「ダニエル・モレロン」の記事における「プロ選手として現役復帰」の解説
第一線を退いたモレロンに再度現役復帰の白羽の矢が立った。それは、1980年の世界自転車選手権が地元フランスのブザンソンで開催されることが決まっていたが、プロスプリント3連覇中の中野浩一を倒せるのは、モレロンしかいないと目されたからであり、モレロンもフランス自転車界のたっての希望を受け入れ、プロ選手として36歳で現役復帰を果たすことになった。また、中野には度々臨時コーチとして日本へ行った際にも指導を行っており、手の内を知り尽くしていたことにも起因していた。 プロ選手として地元の世界選に挑んだモレロンは、まず、この大会から世界自転車選手権の正式種目となったケイリンで銀メダルを獲得するという上々の成績を収め、ついにその後行われたスプリント準決勝で、中野と対戦することになった。 中野はレース前、一度第一線を退いたモレロンを完膚なきまでに叩きのめさねばならないという思いで挑んだという。結果は中野の圧倒的なパワーの前にモレロンは完敗した。3位決定戦にこそ勝ち銅メダルを獲得したものの、これ以上プロとして現役を続けていても中野がいる以上、絶対に今後、彼には勝てないという思いから、大会終了後に現役引退を表明した。 ちなみに、この大会の同種目はもちろん中野が優勝。そして中野は後に、同種目10連覇の偉業を達成することになる。またモレロンをこの大会で破ったことに敬意を表し、以後中野はフランス国内ではムッシュと呼ばれるようになった。
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