プロレスリングの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 19:19 UTC 版)
「ハッピー・ハンフリー」の記事における「プロレスリングの経歴」の解説
農場で働いていたハンフリーは、稀にみる強さで知られていた。1953年にクマと28分間戦って、レスリングのキャリアを開始した。その後約8年間多くの試合に出場し、その一部はテレビで放映された。多くの場合、体重600ポンド(270 kg)を超えるヘイスタック・カルホーンと対戦した。最も注目すべき試合は、ビンス・マクマホン・シニアが企画運営し、完売したマディソン・スクエア・ガーデンにおけるカルホーンとのメインイベントであった。 プロモーターは彼を運ぶために1951年製のポンティアックを大幅に改造した。シートが取り外され、ハンフリーの巨大な重量を支えるため特製の緩衝装置が(ギミックとしても)取り付けられた。さらに通常は試合前にレンダリング施設で肉計量機で体重を測定された。 1960年、当時17歳で後に複数回に亘りNWA世界ヘビー級王座に就くハーリー・レイスに出会った。レイスによると、ハンフリーは非常に大きかったので、通常のシャワールームでは身体が入らなかった。その結果、ハンフリーは地面に裸で横たわらなければならず、レイスは彼の身体に液体石鹸を塗り、モップでこすり洗いをし、庭のホースで洗い流した。レイスはまたハンフリーは体当たりの適切なやり方を教えた巨大な男であったが、同時にとても親切な人物であり、全員にサインをし、ファンとの交流に時間をかけた当時としては数少ないレスラーの一人でもあったと語った。
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