プロイセンとフランスの交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:10 UTC 版)
「プロイセンのネーデルラント進駐」の記事における「プロイセンとフランスの交渉」の解説
フランスの弱点が明らかであったにも拘らず、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世はその仲介者としての役割を堅持した。この点において国王は、大臣カール・ヴィルヘルム・フォン・フィンケンシュタイン(英語版)と叔父、ハインリヒ・フォン・プロイセンが与えた助言に従ったのである。ただ軍務大臣エーヴァルト・フリードリヒ・フォン・ヘルツベルクのみが国王に介入を勧めた。ヘルツベルクはウィルヘルミナに書簡で、プロイセン国王が彼女にホラント総督としての権限の返上を勧めていると知らせた。この妥協はその後、官職の維持に役立つというのである。その目的を達成するために、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の戦略として、フランス・プロイセン両国の仲介により連邦共和国の各州と交渉が行われるという手筈であった。しかし早くも1787年5月、ホラント州はフランスとプロイセンの仲介を拒否する。これによって、プロイセン政府の従来の方針はひとまず不成功に終わった。
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