プロイセンとイギリスの接近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:10 UTC 版)
「プロイセンのネーデルラント進駐」の記事における「プロイセンとイギリスの接近」の解説
外交情勢は、プロイセンにとってさらに有利になった。ロンドンの政府と会談した後、プロイセンの外交官、ジローラモ・ルケズィーニ(英語版)は1787年7月3日に手紙を送り、イギリスがプロイセンに、フランスに対抗するための軍事支援を提供する用意があるとフリードリヒ・ヴィルヘルム2世に伝えたのである。イギリス外相はルケズィーニに、プロイセン国王が復讐を望むなら、連合王国国王ジョージ3世もそれを支持すると知らせた。1787年7月8日にはプロイセンの軍事行動を海路から援護するべく、完全に艤装を整えた軍艦40隻がイギリスの諸港を出発する。またこれによって、フランスはクレーフェにおけるプロイセン軍(英語版)の行動から注意を逸らされることとなった。ヴェルサイユに対してロンドンは、これがただの無害な「艦隊演習」であると宣言した。
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