プリンスの名残
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:12 UTC 版)
「プリンス自動車工業」の記事における「プリンスの名残」の解説
1998年 中島飛行機(東京製作所、中島飛行機最初のエンジン工場)、またプリンス自動車の主力工場であった、日産自動車荻窪工場が閉鎖。 2000年 プリンス自動車からの系譜を持つ日産自動車宇宙航空事業部が、石川島播磨重工業傘下のアイ・エイチ・アイ・エアロスペース(当時)へ分離。 2001年3月、元プリンス自動車・村山工場であった日産自動車村山工場が閉鎖。跡地はイオンモールむさし村山、真如苑などになる。 2003年 日産初の軽商用車として「クリッパー」の名称が復活。 2004年 プリンスから日産に引き継がれた「グロリア」が、姉妹車の「セドリック」とともに生産終了。これにより、プリンス自動車時代から続くネームシップは、「スカイライン」の車名のみとなった。 プリンス自動車時代の名残は現在、「スカイライン」の車名と、かつては三菱自動車工業から、現在はスズキからOEM供給されている軽貨物トラック・バンの車名として復活採用された「クリッパー」の車名、「日産プリンス○○販売」(旧・レッドステージ)の各販売会社名、村山工場の跡地の一部に整備された武蔵村山市市営の都市公園「プリンスの丘公園」、海運会社の「プリンス海運」の社名とロゴデザイン、および自動車専用船「ぷりんすはやて」の船名に受け継がれている。プリンス海運の所有船のファンネルマークには、プリンス自動車の「P」文字マークが描かれている。
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