プラマック~引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:58 UTC 版)
「ロリス・カピロッシ」の記事における「プラマック~引退」の解説
2011年、カピロッシはドゥカティサテライトチームのプラマック・レーシングに移籍、再びデスモセディチを駆ることになった。開幕前に右肩を痛め、第7戦ダッチTTでの転倒により肋骨骨折・右肩捻挫で3レースを欠場するなど、怪我との戦いが続いた。 そして第13戦サンマリノGPを前に、38歳のカピロッシはこのシーズン限りで現役を引退することを発表した。発表の場では他のライダーに向かって「表彰台獲得数は99回だから、(あと1回のために)終盤のレースで僕を助けてほしい!」と冗談めかして言った。しかしその後も第14戦アラゴンGPでまたも右肩を負傷、得意の日本GPを欠場するなど苦闘が続いた。最終戦バレンシアGP、カピロッシは従来のゼッケンNo.65に代わり、前戦の事故で亡くなった友人のマルコ・シモンチェリのNo.58をマシンに付けて出場。9位でフィニッシュし、22年間のグランプリライダー生活に終止符を打った。 引退後、カピロッシはMotoGPを運営するドルナスポーツのアドバイザーに就任。安全面やレギュレーションについての助言をおこなうこととなった。
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