ブレーブス復帰、引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 02:34 UTC 版)
「トム・グラビン」の記事における「ブレーブス復帰、引退」の解説
2008年は4月18日にふくらはぎの故障で自身22年間のキャリアで初となる故障者リスト入り。2勝4敗・防御率5.54に終わる。オフに一旦フリーエージェントとなったが、2009年2月19日、1年100万ドルで再契約。6月2日に戦力外通告を受け、2010年2月11日に正式に現役引退を表明した。 引退表明から3ヵ月後の2010年5月に、古巣ブレーブスはグラビンの在籍時の背番号『47』を永久欠番に指定することを発表し、同年8月6日に欠番表彰式が行われた。 2014年1月8日に資格取得1年目でブレーブス時代の僚友グレッグ・マダックスと共に野球殿堂入り。得票率91.9%は歴代24位だった。 メジャーデビューしてから引退するまで一度も救援登板がなかった。先発登板数682は歴代12位だが、上位の投手は全員救援での登板があり(ロジャー・クレメンスでも2試合、マダックスでも4試合の救援登板がある)、「一度も救援登板したことのない投手」としては史上最多である。ちなみに、第2位は現役のCC・サバシアの415試合(2013年終了時点)、第3位はベン・シーツの250試合である。
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