ブラックホール研究から原爆開発へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 14:35 UTC 版)
「ロバート・オッペンハイマー」の記事における「ブラックホール研究から原爆開発へ」の解説
1930年代末には宇宙物理学の領域で、中性子星や今日でいうブラックホールを巡る極めて先駆的な研究を行っていたが、第二次世界大戦が勃発すると、1942年には原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始される。オッペンハイマーは1943年ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、原爆製造研究チームを主導した。彼らのグループは世界で最初の原爆を開発し、ニューメキシコでの核実験(『トリニティ実験』と呼ばれている)の後、大日本帝国の広島市・長崎市に投下されることになった(→広島市への原子爆弾投下・長崎市への原子爆弾投下)。 弟のフランクが、後日ドキュメンタリー映画『The day after Trinity』の中で語ったところでは、世界に使うことのできない兵器を見せて戦争を無意味にしようと考えていたそうだが、人々が新兵器の破壊力を目の当たりにしてもそれを今までの通常兵器と同じように扱ってしまったと、絶望していたそうである。また、戦後原爆の使用に関して「科学者(物理学者)は罪を知った」との言葉を残している。
※この「ブラックホール研究から原爆開発へ」の解説は、「ロバート・オッペンハイマー」の解説の一部です。
「ブラックホール研究から原爆開発へ」を含む「ロバート・オッペンハイマー」の記事については、「ロバート・オッペンハイマー」の概要を参照ください。
- ブラックホール研究から原爆開発へのページへのリンク