ブラウリオ・バエザとは? わかりやすく解説

ブラウリオ・バエザ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 01:55 UTC 版)

ブラウリオ・バエザBraulio Baeza, 1940年3月26日 - )は、パナマ共和国パナマシティ出身の元騎手1976年アメリカ競馬殿堂入りした。

略歴

1955年にパナマで競馬の騎手としての活動を始め、1960年に騎手エージェントカミーロ・マリン(Camilo Marin)と契約。アメリカ合衆国へと活動拠点を移した。アメリカデビューはその年の3月、キーンランド競馬場の開催初日第1レースで、このとき騎乗した馬は「フーリッシュユース(Foolish Youth・愚かな若さという意味)」という皮肉めいた名前の牝馬であったが、見事に初騎乗初勝利を挙げた。

1965年から1968年1975年リーディングジョッキーとなり、1968年にはジョージ・ウルフ記念騎手賞、1972年1975年にはエクリプス賞最優秀騎手を受賞した。冷静で感情を表に現さないその佇まいから「ザ・グレート・ストーンフェイス」、「ザ・スフィンクス」などとあだ名され、またそのキャリアを通してバックパサードクターフェイガーダマスカスグロースタークアックアックなど数々の名馬に騎乗した。

1961年、ベルモントステークス初勝利を挙げ、二年後にはシャトーゲイに乗りケンタッキーダービーと二度目のベルモントステークスに勝利した。1969年には後に殿堂入りしたアーツアンドレターズに騎乗し、三度目のベルモントステークスを制している。

1972年、イングランドヨーク競馬場に遠征し、この年創設されたベンソン&ヘッジズゴールドカップ(現インターナショナルステークス)でロベルトに騎乗して、それまで不敗のブリガディアジェラードを破った。同年カナダトロントウッドバイン競馬場カナディアンインターナショナルチャンピオンシップステークスも制している。また、1975年にラフィアン予後不良となったマッチレースにおいて、その対戦相手であったフーリッシュプレジャーの騎手でもあった。

通算で3,140のレースに勝ち[1]1976年に体重の問題により36歳で騎手を引退した。この年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館の選定により、殿堂入りを果たした。

ニューヨーク競馬協会(NYRA)の騎手検量アシスタントをしていた2005年斤量の虚偽報告の疑いで担当職員とともに起訴されたが、2007年サラトガ郡裁判所において無罪判決が下されている。

通算成績

(アメリカ合衆国)

年度 1960年 - 1976年
騎乗数 17,239
勝利数 3,140
勝率 18.2%

主な騎乗馬

(騎乗時の主な勝鞍)

大レースの勝鞍

  • ケンタッキーオークス (1961, 1976)
  • ベルモントステークス (1961, 1963, 1969)
  • ブルーグラスステークス (1961, 1963, 1976)
  • ウッドメモリアルステークス (1962)
  • マンハッタンハンデキャップ (1962, 1965)
  • テストステークス (1962, 1966)
  • ケンタッキーダービー (1963)
  • サンタアニタハンデキャップ (1963)
  • ヴォスバーグハンデキャップ (1963, 1967, 1968)
  • ホープフルステークス (1964, 1965, 1967, 1969, 1974)
  • シャンペンステークス (1964, 1965, 1966, 1967, 1975)
  • ベルモントフューチュリティステークス (1964)
  • スピナウェイステークス (1964, 1967, 1968)
  • ウッドワードステークス (1965, 1966, 1969, 1972)
  • ジョッキークラブゴールドカップステークス (1965, 1966, 1969)
  • アーリントンワシントンフューチュリティステークス (1965)
  • トレモントステークス (1965)
  • ブルックリンハンデキャップ (1966, 1972)
  • トラヴァーズステークス (1966, 1969, 1972, 1975)
  • マリブステークス (1966, 1975)
  • メトロポリタンハンデキャップ (1966, 1967)
  • スピンスターステークス (1966, 1973)
  • フラミンゴステークス (1966, 1976)
  • サバーバンハンデキャップ (1967, 1968, 1973)
  • ホーソーンゴールドカップハンデキャップ (1967, 1973)
  • ジョンA.モリスハンデキャップ(パーソナルエンスンハンデキャップ) (1967)
  • ベルデイムステークス (1967)
  • メイトロンステークス (1967, 1971, 1975)
  • フリゼットステークス (1967, 1971, 1975)
  • マザーグースステークス (1967)
  • ホイットニーハンデキャップ (1968, 1972)
  • ユナイテッドネーションズハンデキャップ (1968)
  • マスケットステークス(ゴーフォーワンドハンデキャップ) (1969)
  • ワシントンD.C.インターナショナル (1972)
  • カナディアンインターナショナルチャンピオンシップステークス (1972)
  • モンマスインビテーショナルハンデキャップ(ハスケルインビテーショナルハンデキャップ) (1972)
  • エイコーンステークス (1973)
  • マールボロカップインビテーショナルハンデキャップ (1975)
  • ローレルフューチュリティステークス (1975)
  • フロリダダービー (1975, 1976)
  • アッシュランドステークス (1976)

イギリス

  • ベンソン&ヘッジズゴールドカップ(インターナショナルステークス) (1972)

レーシングアワード

  • アメリカ合衆国リーディングジョッキー(獲得賞金) (1965, 1966, 1967, 1968, 1975)
  • ジョージ・ウルフ記念騎手賞 (1968)
  • エクリプス賞最優秀騎手 (1972, 1975)

顕彰

  • アメリカ競馬名誉の殿堂 (1976)

脚注

  1. ^ パナマ時代の873を加えると通算4,013勝。

参考文献





固有名詞の分類


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