ブハラでの展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:13 UTC 版)
ロシア帝国の保護国であったブハラ・アミール国では、ジャディード知識人を中心とした青年ブハラ人(英語版)勢力が、1920年に赤軍の支援を受けて、アミール政権を打倒した。青年ブハラ人勢力は、ジャディードのファイズッラ・ホジャエフを首班として、ブハラ人民ソビエト共和国を設立した。政権を追われたアミール・サイイド・アリム・ハンは、旧政権の勢力を糾合して反ソ活動を行うこととなった。アミールは、ロカイ族の首長イブラヒム=ベク(英語版)に率いられたトルクメン人部隊を使い、赤軍に頑強に抵抗したが敗北し、1921年にはアフガニスタンへの逃亡を余儀なくされた。 一方、ソビエト当局は、オスマン帝国の元陸相でモスクワに亡命していたエンヴェル・パシャをブハラに派遣し、バスマチ勢力の切り崩しを図った。しかし、アミールらと接触したエンヴェルは、バスマチ勢力側に寝返り、バスマチ諸勢力の糾合を目指し、ドゥシャンベ市を占領するなど各地を転戦した。しかし、1922年8月4日に、東ブハラのバルジャン(現在のタジキスタン)にてエンヴェルは赤軍の攻撃を受け戦死した。その後、バスマチ勢力は山岳地帯でのゲリラ戦に移行し、住民からの支持を失い次第に勢力を失っていった。エンヴェル・パシャの裏切りによって、1923年に汎テュルク主義のスルタンガリエフらも反ソ運動を行ったという罪状で逮捕され、1940年に処刑された。
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