フリーゼンタール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
「ハイデルベルク城」の記事における「フリーゼンタール」の解説
フリーゼンタール (Friesental) は、城郭施設に囲まれている。1750年の文書にはフリーゼンタールは「Thier-Garthen」(動物園)と記録されており、ノロジカやシカが棲んでいた。城に向かう斜面はかつて「冷たい谷」と呼ばれていた。これはあまり陽がささない場所であったからである。 東側にはカルメル会の森があり、学僧の宿舎に選帝侯ループレヒト1世が創設したヤーコプ礼拝堂のわずかな遺構が往時のカルメル会修道院をしのばせる。カルメル会の教会にはヴィッテルスバッハ家の墓所もあった。ここに葬られていた人物は、ミュンヘンに居館を持つバイエルン王の直系の祖先にあたるため、1805年にその棺はミュンヘンの宮廷教会である聖ミヒャエル教会に移された。 ディッカー塔前の石碑 フリーセンベルクに隣接する城の東側には選帝侯軍砲兵隊の射撃練習場が設けられていた。選帝侯カール2世は射撃訓練を楽しみにしていた。1681年にディッケン塔近くに設置された石碑には射撃訓練中のできごとが誇らしげに記されている。1681年1月22日に、向かい合った2人の射撃手が同時に撃ち合ったところ、弾丸が空中で互いに命中したというものである。この石碑は後にシュトュックガルテンに移され、多くの人にこのできごとを伝えている。
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