フラッグシップとしての新快速時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:38 UTC 版)
「新快速」の記事における「フラッグシップとしての新快速時代」の解説
1989年(平成元年)3月11日に新快速がはじめて設定された。運転区間は蒲郡駅 - 大垣駅間に限定され、また当時は岐阜駅 - 大垣駅間はノンストップであった。車両は当初117系が用いられ、最高速度は110 km/hであったが、同年7月に311系を新造、新快速に集中的に投入することにより、最高速度が120 km/hに引き上げられた。その後1年を経て、311系は増備が続けられ新快速の全列車に投入されるとともに、運転区間も豊橋 - 大垣間に拡大している。これにより「新快速=311系」「快速=117系」という棲み分けがなされ、120 km/h運転を行う新快速は快速に比べて特別なフラッグシップ的存在となっていた。一方、快速の運転区間は浜松駅 - 米原駅間となり、比較的長距離を走る列車も増えていった。 並行する名鉄もJR同様に長距離利用の増加に対応する形で1990年(平成2年)に特急券不要の高速を特急に格上げし、名古屋本線では一部特別車(指定席)の特急が登場した。さらに翌年には専用車両(一部特別車の1000・1200系「パノラマSuper」)を登場させ、知立駅、新安城駅通過の列車が増えていった。
※この「フラッグシップとしての新快速時代」の解説は、「新快速」の解説の一部です。
「フラッグシップとしての新快速時代」を含む「新快速」の記事については、「新快速」の概要を参照ください。
- フラッグシップとしての新快速時代のページへのリンク