フジオ・プロ劇画部
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「フジオ・プロダクション」の記事における「フジオ・プロ劇画部」の解説
1969年、大河ドラマのようなダイナミズム溢れるストーリー劇画を、赤塚自らプロデュースしたいという想いから、芳谷圭児を部長とするフジオ・プロ劇画部が発足。 漫画原作者の滝沢解をシナリオライターに迎え、『エンジン魂』『高校さすらい派』『ガッツ4』等の滝沢、芳谷コンビによる長編劇画のプロデュースする。 1972年、赤塚番記者である武居俊樹の推薦で、劇画家の園田光慶が、スランプから脱却すべく、フジオ・プロ劇画部に参入するが、この時、園田は、仕事上での付き合いですら、精神的苦痛を感じるようになっており、結局、一本の作品も描かないまま、劇画部を退社したという。 芳谷、園田のほかに、由紀賢二、木村知生らが在籍していたが、芳谷のフジオ・プロ退社により、1974年頃、フジオ・プロ劇画部は、自然消滅した。 ちなみに、1972年頃から、赤塚漫画では、グロテスクな覚醒をコンセプトとしたキャラクターの顔面クローズアップ・シーンが半ページ大ほどで、幾度となく頻出するようになるが、こうした場面を最初に担当したのが、この時芳谷のアシスタントを務めていた木村知生である。
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