フェラーリGT
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 15:26 UTC 版)
小林は2014年にトップチームへ移籍するため、2013年は「しっかりと戦えるチーム」のシート獲得を目指して交渉を行った。候補はロータスかフォース・インディアと考えられた。11月23日にはファンからの「資金協力をしたい」という声に応える形で、支援金を募る「KAMUI SUPPORT」を公式サイトに開設。12月18日までに1億8400万相当が集まり、日本企業のスポンサーを含めて800万ユーロ(約8.8億円)強の資金を確保した。 しかし、12月18日にロータスがグロージャン残留を発表すると、小林は「戦えるチームへの移籍が不可能になった」として、支援金の受付終了を発表した。2013年についてはF1以外のカテゴリは考えていないと述べ、支援金は2014年のシート獲得活動に充てるとした。 最終的に2013年はF1から離れて、アジア人として初めてスクーデリア・フェラーリとドライバー契約(3月11日契約発表)を結び、GTレースにおいてフェラーリのセミワークス的存在であるイタリアのAFコルセチームより、FIA 世界耐久選手権 (WEC) に参戦することになった。チームメイトは、ジャンカルロ・フィジケラ、ジャンマリア・ブルーニ、トニ・バイランダー。 WECではバイランダー(最終戦はフィジケラ)とコンビを組み、フェラーリ・458イタリアGTCの71号車でLMGTE-Proクラスに参戦。開幕戦シルバーストン2位と好調に滑り出したが、マシンの性能調整 (BoP) に苦戦する。初挑戦のル・マン24時間レースでは総合21位(クラス5位)。地元富士は悪天候により打ち切り(クラス5位)。最終的にドライバーズランキングはクラス7位だったが、フェラーリのGTマニュファクチャラーズタイトル連覇に貢献した。
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