フェラーの登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:59 UTC 版)
「クリーブランド・ガーディアンズ」の記事における「フェラーの登場」の解説
1920年以降は、ベーブ・ルースを擁したヤンキースが台頭し、インディアンスは優勝から遠ざかることとなった。1920年代中盤には、チームの要であったスピーカーやコベルスキが続けてチームを離れ、代わってチームの中心選手だったシーウェルも、1931年にヤンキースに移籍した。1929年にアール・アベリルが27歳という遅咲きでメジャーデビューする。アベリルはデビュー以来、6年連続で3割を記録し、1936年には打率.378と高打率を記録するなど、好成績を残した。しかし、アベリルは優勝とは縁がないままチームを離れることとなった。1930年代に入ると、勝ち越してシーズンは終えるものの、優勝争いにはほとんど絡むことができず、3位や4位が定位置となった。 そんな中、1936年にボブ・フェラーが17歳でメジャーデビューする。アイダホ州の農場に生まれ、野球好きの父親からピッチングを教わって育ったフェラーの才能をインディアンスが見出したものだった。フェラーは、デビュー戦でいきなり1試合15奪三振を記録すると、次の試合でも17奪三振を記録し、デビュー当初からその才能を遺憾なく発揮した。1938年からは先発レギュラーに定着し、1941年までの4年間で最多奪三振4回、最多勝利3回、最優秀防御率1回を受賞するなど、リーグを代表する投手に成長する。しかし1941年に太平洋戦争が始まると、フェラーは兵役に就き、1945年の終戦までチームを離れることとなった。
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