フィンランド内戦勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/19 05:12 UTC 版)
「オーランド侵攻」の記事における「フィンランド内戦勃発」の解説
フィンランドが1917年12月にロシアから独立を獲得すると、オーランド諸島をスウェーデンに編入しようとする動きがオーランドで起こった。スウェーデン政府は問題に対する行動を呼び掛けるオーランドからの代表団と会った。フィンランド内戦が1918年1月後半に始まると、スウェーデンのヨハネス・ヘルナー(英語版)首相とグスタフ5世国王は、2月8日にオーランドの代表団と会った。代表団によると、国民投票がオーランドで行われ、大多数の95%がスウェーデン編入の意思を示していた。代表団は運動に対する行動を求め、ロシア軍の専制と無秩序を訴えてスウェーデン政府の援助を求めた。スウェーデンのマスコミも、人道的理由から行動を主張した。戦争が始まってから政府は既に西の沿岸都市ポリを経由してフィンランド本土からスウェーデン市民1000人を避難させていた。 ヴァッカスオミ(英語版)からのヨハン・ファブリティウス大尉率いる白軍(英語版)460名の部隊がオーランド諸島に上陸すると、フィンランド内戦は2月10日にオーランドに拡大した。部隊はウーシカウプンキから3日前に逃げていて、群島海(英語版)の氷を横断した。オーランドに到達すると、白軍はソ連軍と小規模な衝突をした。2月14日、ソ連兵20名を捕虜にしながら、スンド(英語版)のプラスト(英語版)電信局を占領した。しかしソ連兵は抵抗に余り興味がなく、殆どは帰還できる日を待っていた。
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