フィリップスの多葉機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 04:56 UTC 版)
「ホラティオ・フレデリック・フィリップス」の記事における「フィリップスの多葉機」の解説
フィリップスは風洞を開発し、翼型を研究し、ベネチアン・ブラインド構造の多葉機の開発を行った。 1893年に、50枚の翼と「ダブル・サーフェース・エアフォイル」と称する構造で、翼のアスペクト比が152に達した翼構造で、大きい揚力を発生することを示した(最終的に400ポンド=180kgほどの揚力が発生した)。1904年に1893年の実験をもとに、安定性を得るために尾翼をつけた21翼の機体で有人飛行が試みられたが、たかだか13mほどの距離のジャンプしかできなかった。1907年に22hpのエンジンを2.5mのプロペラを装備した機体は1907年4月6日に100mあまり(500ft)の飛行に成功するが、通常の飛行機の設計に比べて、性能は劣っていることが明らかになったので、フィリップスは飛行機の開発を断念した。
※この「フィリップスの多葉機」の解説は、「ホラティオ・フレデリック・フィリップス」の解説の一部です。
「フィリップスの多葉機」を含む「ホラティオ・フレデリック・フィリップス」の記事については、「ホラティオ・フレデリック・フィリップス」の概要を参照ください。
- フィリップスの多葉機のページへのリンク