フィッシャー砦とノースカロライナ州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/05 14:25 UTC 版)
「アルフレッド・テリー」の記事における「フィッシャー砦とノースカロライナ州」の解説
この戦争でテリーが成し遂げた最大の功績はフィッシャー砦遠征軍団の指揮官となったときのことだった。ベンジャミン・バトラーが1864年末にフィッシャー砦に対する遠征隊を率いて失敗していた。テリーはユリシーズ・グラント中将の信頼を得て、砦に対する2回目の遠征でその陸軍指揮官となった。バトラーと違い、テリーは海軍少将デイビッド・ディクソン・ポーターの率いる戦隊とうまく協業した。1865年1月15日、チャールズ・J・ペイン准将指揮下の黒人兵1個師団を派遣して、フィッシャー砦北のブラクストン・ブラッグ将軍が率いる南軍が近づけないようにした。もう一つの師団であるアデルバート・エイムズ准将の部隊は砦の北側に向かわせた。ポーターの戦隊からの艦砲射撃に続いて、陸軍による激しい白兵戦がおこり、北軍は砦の占領に成功した(第二次フィッシャー砦の戦い)。テリーはフィッシャー砦での功績で志願兵の少将と正規軍の准将に昇進した。2月には援軍が到着し、ジョン・マカリスター・スコフィールド少将がウィルミントンに対する作戦の全体指揮を執った。ウィルミントンの陥落後、フィッシャー砦遠征軍団は第10軍団と改名し、テリーが軍団長に留任して、カロライナ方面作戦の最終段階に参戦した。テリーはこの戦争の中で現れた軍歴の無い将軍の中では最も有能な者の一人と考えられている。
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