ファースト・ディビジョンの奪い合い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:40 UTC 版)
「グレート・ノーザン鉄道」の記事における「ファースト・ディビジョンの奪い合い」の解説
1867年にカナダが独立を果たした。当時のカナダ西部はアメリカ西部と結びついており、カナダの東西を結びつける必要があるかどうかは議論の分かれるところであった。前者のままでよいならばカナダを横断する鉄道は必要なく、必要に応じてアメリカの鉄道網を利用すればよい。後者を推進するならばカナダは自前で横断鉄道を建設する必要があるが、土地の起伏や気象条件などから困難が予想された。ジェームズ・ウィックス・テイラー(James Wickes Taylor)は、カナダの鉄道網にファースト・ディビジョンを組み込むことを提言した。これを「国際鉄道構想」(International Railway)という。 アメリカ側では、ワシントン準州知事であったアイザック・スティーブンスが、北部の大陸横断ルートであるノーザン・パシフィック鉄道(NP)の特許を1864年7月2日に得た。NPの一部には、ファースト・ディビジョンを組み込む構想もあったが、資金調達に難航し、起工したのは1870年2月であった。同年7月には、NPはStP&Pの株式の3分の2を取得して、同年末にはファースト・ディビジョンがNPの子会社となる。複雑な金融資本のしがらみから、NP、StP&P、ファースト・ディビジョンの三鉄道は合併はしていない。なお、NPが太平洋岸までの建設を終了したのは1883年である。
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