ベシェニェイ・ペーテルとは? わかりやすく解説

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ベシェニェイ・ペーテル

(ピーター・ベゼネイ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/05 08:55 UTC 版)

ピーター・ベゼネイ
(ベシェニェイ・ペーテル)
Besenyei Péter
生誕 (1956-06-08) 1956年6月8日(60歳)
国籍 ハンガリー
レース経歴
初出場 2003
最高順位 1位 (2003年)
機体 コーバス・レーサー540
公式サイト
besenyeipeter.hu
Extra 300Sを操縦するベゼネイ

ベシェニェイ・ペーテルBesenyei Péter1956年6月8日 - )は、ハンガリー曲技飛行パイロットエアレースの世界チャンピオンとして名を馳せる。日本では、英語読みのピーター・ベゼネイで呼ばれることが多いため、本項でもその呼称を採用する。

経歴

ベゼネイが操縦するジブコ エッジ540機体記号は型番の540Péter Besenyeiの頭文字を合わせたN540PB

ハンガリー西部の町、ケルメンドに生まれる。ブダペストの空港のそばで育ち、幼い頃から飛行機に興味を持っていた。1962年の曲技飛行の世界選手権を観戦して、自分もパイロットになりたいと決心し、15歳の時にグライダーで初飛行を遂げる。1976年、初めて参戦したグライダー競技でその才能をいかんなく発揮し、2位で終えた[1]

曲技飛行パイロットになり、国内外の選手権でいくつものタイトルを獲得した。初めて金メダルを獲得したのは、1982年オーストラリア選手権だった[2]。専門はフリースタイル部門で、オリジナルのスナップロールをいくつも開発し、1984年にはナイフエッジ・スピンを生み出した。1995年には金メダル2つと銀メダル2つを獲得し、最も成功を収めた曲技飛行パイロットとして名声を得る[1]2001年、ブダペストのドナウ川にかかるセーチェニ鎖橋の下を飛行し、橋の下をくぐる技は今日のエアレースの基本的なマニューバの一つとなっている[3]

1996年ゲンツ・アールパード英語版大統領(当時)から金メダルを授与された[3]

レッドブル・エアレース・ワールドシリーズの発展に大きく寄与し、その方面では「ゴッドファーザー」の異名を取る[3]。2001年に、オーストリア栄養ドリンク会社・レッドブルから競技型エアレースの設立の協力を求められ、ルールや規則の設定に熱意を持って取り組み、肉体的にも精神的にも究極のエアレースにチャレンジするスキルと勇気を兼ね備えた、ある意味で向う見ずなパイロットを慎重に選んだ。またレースで使われる風船型パイロン『エアゲート』を考案した。最初のレースは、2003年にオーストリアのツェルトベク英語版で行われ、2年後の2005年には世界各地を転戦するレースへと進化していった。

自身も初年度からレースに参加しており、2010年からは自身のためコルバス・ハンガリーで設計されたコーバス・レーサー540を利用していたが、機体が曲技飛行向けでエアレースには適さないことを理由に2015年の第4戦から『540 V3』へ変更した[4]

現在は、ハンガリー航空局のテストパイロットのほか[3]ジブコ エッジ540の曲技飛行パイロット向けのインストラクターをしている。他の趣味に、カーレース、スキー、スカイダイビング、釣り、カメラなどがある[3]

2015年シーズンをもって、レッドブル・エアレースを引退した。2016年からはポール・ボノムと共に殿堂入りしている[5]

戦績

ピーター・ベゼネイが操縦するコーバス・レーサー540(2012年)
1982年
  • オーストラリア・ナショナル・チャンピオンシップ – 総合優勝
1990年
  • 世界曲技飛行選手権 – 2位
1993年
1994年
  • 規定演技(コンパルソリー)世界チャンピオン
1995年
  • フリースタイル部門ヨーロッパチャンピオン
  • 規定演技部門ヨーロッパチャンピオン
1998年
2000年
  • フリースタイル部門世界チャンピオン
2001年
  • FAIワールド・グランプリ・シリーズ - 1位
2003年
  • FAIワールド・グランプリ・シリーズ(日本・東京) - 1位
2005年

レッドブル・エアレース戦績

金色 銀色 銅色 ポイント圏内完走 ポイント圏外完走
1位 2位 3位 4-8位[注 1] 9-14位[注 1]
ピーター・ベゼネイ
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ戦績
開催年 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 勝利数 最終
順位
2003
1位
[注 2]

1位
6
6 2 1位
2004
3位
4

3位
4

3位
4
12 0 2位
2005
1位
6

2位
5

2位
5

1位
6

3位
4

4位
3

4位
3
32 2 2位
2006
3位
4

1位
6

2位
5

中止

3位
4

失格

2位
5

2位
5

1位
6
35 2 2位
2007
1位
6

5位
2

1位
6

5位
2

中止

3位
4

3位
4

4位
3

4位
3

6位
1

中止

7位
0
31 2 3位
2008
4位
6

8位
2

5位
5

中止

6位
4

4位
6

5位
5

7位
3

中止

7位
3
34 0 5位
2009
10位
2

4位
8

DNS

10位
2

4位
8

8位
4
24 0 8位
2010
3位
9

10位
2

11位
1

10位
2

8位
4

9位
3

中止

中止
21 0 10位
2011年から2013年はレース休止
2014
10位
0

11位
0

7位
2

7位
2

7位
2

12位
0

12位
0

12位
0
6 0 11位
2015
7位
2

13位[6]
0

12位[7]
0

6位[8]
3

6位[9]
3

8位[10]
1

13位[11]
0

13位[12]
0
9 0 12位

関連項目

出典

脚注
  1. ^ a b 2009年・2010年は11位までポイント圏内。
  2. ^ タイム計測が議論を呼び、ポイントなしという措置が取られた。
出典
  1. ^ a b Peter Besenyei Aerobatics Pilot”. budpocketguide.com. 2010年1月25日閲覧。
  2. ^ Besenyei Peter” (Hungarian). rtl.hu. 2010年1月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e Peter Besenyei”. redbullairrace.com. 2010年1月25日閲覧。
  4. ^ 新機体を導入したベゼネイ | Red Bull Air Race
  5. ^ パイロット LEGENDS | Red Bull Air Race
  6. ^ 室屋義秀が最速タイムでラウンド・オブ・8へ進出”. Red Bull Air Race (2015年5月17日). 2016年1月31日閲覧。
  7. ^ 浅田真樹 (2015年6月2日). “【エアレース】室屋義秀、第3戦で10位もトップ争いへ視界良好”. Web Sportiva. 集英社. 2016年1月31日閲覧。
  8. ^ Round 8 wraps with full throttle drama”. Red Bull Air Race (2015年7月5日). 2016年1月31日閲覧。
  9. ^ Ascot anguish for Arch in Round of 8”. Red Bull Air Race (2015年8月16日). 2016年1月31日閲覧。
  10. ^ 第6戦シュピールベルク:決勝レース後リアクション”. Red Bull Air Race (2015年9月6日). 2016年1月31日閲覧。
  11. ^ Double celebration for Dolderer in Qualifying”. Red Bull Air Race (2015年9月26日). 2016年1月31日閲覧。
  12. ^ Muroya maneouvres for race podium”. Red Bull Air Race (2015年10月18日). 2016年1月31日閲覧。

外部リンク

タイトル
先代:
-
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ チャンピオン
2003
次代:
カービー・チャンブリス
(2004)



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