ピンク・ネオリアリズモとコメディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 07:05 UTC 版)
「イタリアの映画」の記事における「ピンク・ネオリアリズモとコメディ」の解説
詳細は「イタリア式コメディ」を参照 デ・シーカの『ウンベルトD』が、最もよくネオリアリズモの本質をあらわしている作品だと言われている。そのためか、また他の理由からか、ネオリアリズモの動きはこの作品で終結したとも言える。続く作品達は、国の発展に伴ってか、もっと分かりやすくて軽いタッチものになっていき、そういった作品はピンク・ネオリアリズモ(ネオレアリズモ・ローザ Neorealismo rosa)と呼ばれた。そしてセレブリティとなっていく女優たちが現れていくが、その中にはソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジーダ、シルヴァーナ・パンパニーニ、ルチア・ボゼー、エレオノラ・ロッシ=ドラゴ、シルヴァーナ・マンガーノ、クラウディア・カルディナーレ、ステファニア・サンドレッリなどがいた。しかし、すぐにこのユニークなジャンルは「イタリア式コメディ Commedia all'italiana」にとって変わられ、社会的なテーマが真面目に語られるより、ユーモアを交えて描かれるようになっていった。 この時期、商業的に目立った点としてはナポリ出身のコメディアン、トト(Totò)の人気が挙げられる。彼の映画(ペッピーノ・デ・フィリッポやマリオ・カステッラーニ共演)は新写実主義な風刺が特徴であった。トトは「映画機械 film-machine」とも言えるほど毎年多くの映画に出演したが、同じような内容の作品も多かった。彼の経歴(ナポリの貧しい地域に、侯爵の家系に生まれた)、ユニークな顔、独特の物まねやジェスチャーは比類のないもので、彼はイタリアで最も愛されるコメディアンとなった。 「イタリア式コメディ」はマリオ・モニチェリが1958年に監督した『いつもの見知らぬ男たち』ではじまり、その名称自体はピエトロ・ジェルミの『イタリア式離婚狂想曲』 (原題Divorzio all'Italiana) から取られたと言われている。ヴィットリオ・ガスマン、マルチェロ・マストロヤンニ、ウーゴ・トニャッツィ、クラウディア・カルディナーレ、モニカ・ヴィッティ、ニーノ・マンフレディなどはコメディ映画に出演して有名になった。
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