ピナ山方面での激戦と転進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 16:08 UTC 版)
「独立歩兵第364大隊 (日本軍)」の記事における「ピナ山方面での激戦と転進」の解説
11月18日未明、第102師団長の福栄真平中将がオルモックに到着し、第364大隊の残る2個中隊を率いて北進した。そして同19日未明に第1師団長の片岡董中将と連絡した後、20日にリモン峠南東のピナ山付近に進出した。この頃、歩兵第41連隊(残存兵力約600名)の第1大隊がピナ山に、第2大隊がピナ山北方の716高地に、第102師団の独立歩兵第171大隊が716高地北方の517高地に、独立歩兵第169大隊がピナ山東方の582高地に布陣し、それぞれ米軍と交戦していたが、米第1騎兵師団の騎兵第12連隊が第171大隊と歩兵第41連隊を撃破し、716高地を占領するに至った。このため29日、福栄中将は第364大隊の1個中隊をピナ山から前進させ、716高地を奪回させた。しかし米軍は12月1日から反撃を行い、同3日に野尻大隊長が戦死し、716高地も再び奪回された。 その後、リモン峠方面の戦況が破断界に達したため、福栄中将指揮下の部隊も西へ向かって退却を始めた。12月23日夜、第一次部隊(独立歩兵第169、364大隊)と第二次部隊(歩兵第41連隊、独立歩兵第171大隊)に分かれてピナ山を出発し、24日夜にリボンガオ-カナンガ間の公道を突破、29日にカンギポット山付近を通過し、30~31日にバリティ海岸に到達した。その後、昭和20年1月5日に、福栄中将は第169大隊の一部を伴い、バリティから無断でセブ島に脱出したが、第364大隊はこれに同行していない。福栄中将が率いていた第169大隊の残部、第171大隊、その他の部隊は、軍司令部付の金田長雄大佐(事前補充の連隊長要員)が率い、カンギポット山付近で自活を行うこととなり、第364大隊もこれらの部隊と行動を共にしたと考えられるが、その後の大隊の消息については記録がなく、大隊の最期の模様は分かっていない。
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