ピアニストの夢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 19:48 UTC 版)
「たねや」に就職後、西川がピアノを弾けることを知る人たちから、絶えずピアノ演奏の依頼を受けて大小関わらず演奏活動をしていた。1999年とあるピアノ調律師から、「海外の有名なデュオピアニストが大阪でコンサートをするから、その前座で弾いてみない?」と誘われた。 当日は、ショパンの『バラードOp.23-1』を弾いたが思うような演奏ができなかった。本番終了後悔やんでいた所、ブラッドショーとブオーノから「荒削りだけどユニークでドラマティックな演奏だった。もし、本気で勉強したければ金銭的な心配はいらないからニューヨークで僕たちの弟子になればいい」とスカウトされた。「たねや」の店主にこのことを伝えると、「職場の籍はこのままにしておくから頑張っておいで」と背中を押され、3ヶ月間の予定で渡米。 マンハッタン近郊のブオーノの立派な邸宅で居候生活を初めた西川は、夜から早朝4時まで課題をこなし、昼間はマンハッタンのブラッドショーのもとに通ってレッスンを受ける日々を送った。2ヵ月後彼らから帰国前にリンカーン・センターのアリス・タリー・ホール(英語版)でのリサイタルを提案された。後日リサイタルを開くとこの公演が成功し、すぐにスポンサーがついてプロのピアニストとしての道が開け、一時帰国して「たねや」の店長にピアニストの夢を叶えたことを報告して退職し再びニューヨークに戻る。
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