ヒッパルコスについての挿入話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 08:47 UTC 版)
「ヒッパルコス (対話篇)」の記事における「ヒッパルコスについての挿入話」の解説
ソクラテスが友人を「自分を欺こうとしている」と非難し、友人もまた同様に言い返す。するとソクラテスは、もしそうだとしたら、自分は「善き賢き人」(ヒッパルコスのこと)に従わないで、善からぬ振る舞いをしていることになると言い、突如としてかつてのアテナイ僭主ヒッパルコスについて語り出す。 ペイシストラトスの息子の内で最年長にして最賢明だったヒッパルコスは、多くの立派な仕事にその知恵を示し、特にホメロスの叙事詩をはじめてアテナイにもたらしたり、パンアテナイ祭に吟唱詩人を出したり、抒情詩人アナクレオンを連れてきたり、抒情詩人シモニデスを侍らせたりしており、彼がそのようにした理由は市民たちを優れた人にするため教育しようと望んでのことであり、何人にも知恵を惜しみなく与えるべきだと思ったからだと、ソクラテスは述べる。 また彼は、アテナイ市街に住む者たちを教育してその知恵が驚嘆されるようになった後、郊外に住む者も教育しようと、市街と郊外集落の中間の道端にヘルメス像を建て、知恵の言葉を刻んだのであり、その像の左側にはそれが「市街と集落の中間に立っている」旨が刻まれ、右側には「正しき知慮もて歩め」と刻まれているが、ステリアイ街道沿いの像には「友を欺くなかれ」と刻まれていると、ソクラテスは述べる。 さらにソクラテスは、アテナイで僭主支配と呼ぶべきなのはヒッパルコスの後の弟ヒッピアスの時代のみであり、その他の時代はクロノスの支配する時代(黄金時代)のようだったこと、またヒッパルコスがハルモディオスとアリストゲイトンに殺害されたのはよく言われているような「ハルモディオスの姉(妹)を侮辱したから」という理由ではなく、「以前二人を慕っていてハルモディオスも恋心を寄せていた若者が、ヒッパルコスを慕うようになり、彼らを軽蔑するようになったから」であることなどを述べる。
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