パーマー楽団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/27 04:17 UTC 版)
「ミヒャエル・パーマー」の記事における「パーマー楽団」の解説
パーマーは全4人の楽団を組織して、ウィーンの酒場などで演奏活動を行った。のちに「ワルツ合戦」を繰り広げるヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス1世は、このパーマー楽団に所属する楽団員であった。 パーマーは楽団員をやたらと叱り、こき使うなど、自身の楽団において絶対的な権力者としてふるまう人物であった。また、一曲を指揮するごとにジョッキ一杯のビールを飲み干すという酒飲みで、おまけに大食漢であり、楽員たちへ渡すべき給料を飲み食いに使ってしまうこともあった。ランナーはたまらず楽団から逃げ出して新たな楽団を結成し、これにシュトラウスも呼応してランナーの新しい楽団に移った。独立したランナーの楽団は急速に人気を獲得し、パーマーはたちまち追い越されてしまった。 パーマー楽団からの独立後も、ランナーとシュトラウスはパーマーへの敬意を忘れなかった。1826年、ランナーとシュトラウスは、かつての師パーマーのための慈善演奏会を一緒に開いている。翌1827年、パーマーはカプチン・フランシスコ修道会に所属する僧侶を僧衣ごと丸呑みしてしまった、という妄想にさいなまれ、激しい発作で震えるうちに死去した。享年45歳。
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