パナマ地峡鉄道
パナマ運河鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/04 06:56 UTC 版)
詳細は「パナマ地峡鉄道」を参照 19世紀前半において、パナマ地峡を横断する旅は危険かつ困難なものであった。米墨戦争の結果、アメリカ合衆国がカリフォルニア州を獲得して以降、より確実な大洋間の連絡手段を求める声が強まっていった。大陸横断鉄道の建設は1850年に始まり、1855年1月28日、両大洋岸を結ぶ最初の鉄道が開通した。しかし、鉄道建設によって工事労働者におそらく1万2000人を超える死者を出したとされている。 鉄道はパナマ運河建設に大きく寄与した。鉄道と運河は極めて近くを並走し、線路の一部は運河建設のために接収、またルート変更が行われた。鉄道会社にもかなりの資金補強がなされた。パナマ運河に並走する再構築・改善されたパナマ鉄道の工事は、1912年に完了した。 1979年、アメリカ合衆国政府からパナマ政府にパナマ鉄道が譲渡された。1998年6月19日、パナマ政府はパナマ鉄道を民間企業のPanama Canal Railway Company (PCRC、パナマ運河鉄道)に譲り渡した。パナマ鉄道は当初軌間5フィート(1,524mm)の軌道であったが、2000年に再敷設が行われ、軌間4フィート8インチ半(1,435mm)の標準軌に置き換えられた。 2010年時点で、パナマ運河鉄道はパナマ市からコロンまでの区間で旅客と貨物の輸送を行っている。
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