バスク州首相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 13:52 UTC 版)
2005年にはバスク社会党からバスク州政府首相(レンダカリ)の候補となったが、バスク民族主義党(PNV)のフアン・ホセ・イバレチェに敗れた。2009年3月のバスク自治州議会議員選挙で、バスク民族主義党は最多の30議席を獲得したが、単独過半数(38議席)には届かなかった。バスク社会党は25議席で第2党となり、国民党(PP)が13議席で第3党となった。このため、野党のバスク社会党と国民党が手を組んでパチ・ロペスを首相に指名し、1979年から続くバスク自治州の30年の歴史で、初めてバスク民族主義党以外から選出された首相となった。また、極左テロ組織バスク祖国と自由(ETA)との戦いを宣言したため、在任中はETAの「優先的な標的」であり、就任直前の4月18日には爆殺未遂事件が起こった。5月7日にはゲルニカの「ゲルニカの木」の前で就任式が行われたが、バスク民族主義党出身の歴代レンダカリのように「神」という言葉を用いず、また「バスク国民」ではなく「バスク市民」という言葉を用いた。
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