アスナール政権の閣僚(1996 - 2004)
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1993年6月の総選挙で再選。続く1996年3月の総選挙においても再選された。同選挙では国民党はフェリーペ・ゴンサーレス率いる社会労働党に勝利、ホセ・マリア・アスナール政権が誕生した。 同年5月5日公共行政大臣に就任、1999年1月には批判の矢面にさらされていたエスペランサ・アギーレに替わって教育文化大臣に就任し、職業教育新プランを可決させた。そして同月に実施された国民党第8回党大会において、同党副総書記に再任された。 2000年の総選挙では選挙の指揮を執り、過半数を獲得、ラホイは第一副首相と首相府相(日本の内閣官房長官に相当)を兼務することとなった。 2001年2月には首相府相を辞任、バスク州首相候補となったハイメ・マジョール・オレハの後任として内務相に就任した。 2002年7月内務相から首相府相に就任。 2004年3月の総選挙前にアスナール首相が勇退を表明していたため、ラホイは首相候補として選挙戦を戦った。好調な経済などから事前の世論調査では勝利が確実視されていたが、投票日直前の3月11日にマドリッドで起きたテロに対するアスナール政権の対応のまずさで、前回より35議席減の148議席獲得にとどまり、164議席を獲得した社会労働党に敗北。サパテーロ政権の誕生となった。
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