バスク州政府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 23:30 UTC 版)
「イサベル・セラア」の記事における「バスク州政府時代」の解説
1949年にビスカヤ県ビルバオに生まれ、ビルバオのデウスト大学とバリャドリッドのバリャドリッド大学で学んだ。1987年にはバスク州政府教育・大学・研究省で閣僚となった。1991年のバスク州議会議員選挙後には短期間のみ、バスク民族主義党(PNV)とバスク連帯(EA)とバスク左翼(EE)が連立政権を組んだ。その後は1995年のバスク州議会議員選挙まで、フェルナンド・ブエサとともに教育・大学・研究省の副大臣に就任した。 1998年から2009年、2012年から2016年には、ビスカヤ県選挙区選出のバスク州議会議員を務め、州議会議員としては教育問題を担当した。2008年から2009年には州議会の副議長を務めた。2009年の州議会議員選挙でバスク社会党は第2党に終わったものの、国民党(PP)と手を組んだことでバスク社会党のパチ・ロペスがバスク州首相(レンダカリ)に就任し、セラアはバスク州政府教育・大学・研究大臣に就任した。 2015年スペイン議会総選挙と2016年スペイン議会総選挙では、ビスカヤ県選挙区の上院においてバスク社会党の筆頭候補となったが、結局のところ上院議員には選出されていない。
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