ハールク島とは? わかりやすく解説

ハールク‐とう〔‐タウ〕【ハールク島】

読み方:はーるくとう

Khargイラン南部ペルシア湾にある島。ホルモズガーン州属し本土から約25キロメートル沖合位置する同国原油輸出大半を担う積み出し港がある。カーグ島


ハールク島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/11 02:45 UTC 版)

ハールク島
現地名:
جزیره خارک
航空写真
ハールク島
地理
座標 北緯29度14分08秒 東経50度18分36秒 / 北緯29.235481度 東経50.31度 / 29.235481; 50.31座標: 北緯29度14分08秒 東経50度18分36秒 / 北緯29.235481度 東経50.31度 / 29.235481; 50.31
行政
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ハールク島ペルシア語: جزیره خارگ, ラテン文字転写: Jazīre-ye Ḵārk)は、ペルシャ湾に浮かぶイラン・イスラム共和国領の

名称、表記

イスタフリーイブン・ハウカルイブン・バルヒーヤークートらが書いたアラビア語地理書や、Ḥudūd al-ʿĀlam英語版 のようなペルシア語地理書によれば、島の名前は前近代においてはペルシア語で「ハーラグḴārag(アラビア語では「ハーラク」 Ḵārak)と呼ばれていた[1][2]。近世から近代初期においては、オランダ東インド会社Khārrack という島の名前を記録し、イギリス・インド総督府Khārag あるいは Khāragū と記録している[1][2]。19世紀末から「ハールグ」Ḵārg と短縮して呼ぶようになった[1]。21世紀現在はさらに語末子音が無声音化して「ハールク」Ḵārk と呼ばれている[1]

現代の英語圏ではKharg Islandと呼ばれている[3]。日本の報道では、主に英語圏の報道機関通信社から提供される情報を利用してニュースを伝えるので、主にカーグ島と表記されている[注 1]

概説

位置

イラン本土の沖25キロメートルにあり、ホルムズ海峡からは北西に483キロメートルの位置にあり、ブーシェフルの北西約57キロメートル、対岸のバンダレ・リーグからは約35キロメートルの位置にある、ペルシャ湾に浮かぶサンゴ礁で囲まれた島である。隣接する沿岸のブーシェフル州の行政下に置かれている。

大小の2島

厳密には大小の2島からなり、南側の大きいほうの名が「ハールク島」で、北側の小さいほうの名は「ハールグ(ペルシア語: خارگو)」であり、昔からここに住む住民の呼び名である。大きい方のハールク島は南北 約8キロメートル、東西 約4キロメートルで、面積は約20平方キロメートル。平均海抜 3メートル。なだらかな島で、平均勾配が10°から15°の間である。島の最高点は「物見山」と呼ばれ、海抜87メートルで、昔はここに灯台があった。他に島の北部に"ペルシア語: کوه تخت(かんむり山)"と南部に"ペルシア語: کوه لشکری(兵隊山)"などがある[4]。小さいほうのハールグ島は、南北に伸びた細長い島で、南北 約8キロメートル、東西 約400メートルで面積は約 3.1平方キロメートルで、無人島で、イランの自然遺産、自然保護地域に指定されている。

人口、住民数、市街地

2016年イラン国勢調査によると、大きいほうのハールク島の人口(常住者)は8,193人である。ただし、石油輸出施設に関係する(非常住の)労働者やその他の(非常住)労働者(石油輸出施設職員、港湾作業員、警備・軍関係者、およびそれらの家族)なども含めると、約2万人の居住者がいるとする報道もある[5]

大きい方のハールク島の北東部に島唯一の街 ハールク (ペルシア語: خارک 、英語表記:Kharg)があり、島の人口のほぼ全ておよび非常住の労働者とその家族がそこで暮らしており、住宅地区、商店、学校、病院、港湾、空港があり、街としての機能が一通り揃っている。

産業や機能、イランや世界経済にとっての重要性

かつては良質な天然真珠を産する島としてアラビア語の地誌に記載されており、1920年代までは天然真珠漁がさかんな島だった。その後、世界の真珠市場が日本の養殖真珠に席巻され、この島の天然真珠漁は壊滅。1950年代に新たに石油積出港、つまり石油タンカーに原油を積むための港としての役割が与えられ[注 2]1986年に世界最大級の石油積出用の港が完成。2012年のイランの原油の約98%の取り扱いがハールク石油ターミナルで行われ、2020年代の現在もイランの原油輸出全体の約9割がこの島を経由して輸出されており、イラン経済の根幹を支える島である。

アルジャジーラの2026年の記事によると、年間9.5億バレルがこの島経由で輸出されているとされており[6]、これは世界の石油輸出量 43.24 億バレル(2024年のOPECデータ)の約 6パーセントを占めている。原油の価格は供給量がわずかに減少するだけでも跳ねあがりがちな性質があり、ガーディアン誌は専門家の話として、次のような指摘をしている。

(Experts warn that) an attack on Kharg Island could severely disrupt global oil supply, potentially causing prices to spike dramatically, with estimates suggesting prices could soar from around $120 to $150 per barrel. (カーグ島への攻撃は世界の石油供給に深刻な混乱を与える可能性があり、その結果、原油価格を劇的に上昇させる可能性があり、約120ドルから150ドルへ跳ね上がるという推定がある)[7]

イラン・イラク戦争(1980年-1988年)中に2800回以上の爆撃を受けて大きな被害を受けた。 2026年3月14日にはドナルド・トランプが率いる米軍がこの島に対して攻撃をした(この日に攻撃したのは島内の飛行場や軍事施設のみで、石油タンクなど石油積出施設は攻撃していない模様)。


気候

気候は雨季乾季があり、乾季には非常に暑くなる。乾季は3月に始まり約8か月間続く。気温は季節に応じて6℃から46℃まで上下する。雨季の平均気温は17℃だが、乾季は32-36℃になる。雨季に入るときに涼しい風が吹く[8]

歴史

アケメネス朝の碑文

後述のようにかつてはヘレニズム時代の墳墓跡がハールク島最古の人類居住の痕跡と考えられていたが、2007年11月14日「楔形文字で記された古代ペルシア語の碑文が発見された」と報道された[9]。碑文はアケメネス朝(ハカーマニシュ朝)のものであり、サンゴ石に古代ペルシア語の楔形文字英語版が刻まれていた。アケメネス朝の碑文は通常、きれいに揃っているが、この碑文は不規則に並んだ5行の文でできていた。

翻訳
灌漑されていなかった地は幸せになった
バハナの井戸から私が齎した水によって[9]

イラン系メディアによる発見の報道に対して、他のペルシア湾岸諸国の報道メディアは、碑文が偽造されたものではないかと疑った[10]

碑文は考古学者のレザー・モラーディー・ギヤース・アーバーディーペルシア語版が調査し、その様子はイラン国営メディアがドキュメンタリー番組で放映した。

2008年5月31日、碑文は何者かによって深刻な破壊を受けた[11][12]。破壊は鋭利な刃物のようなもので慎重に行われており、破壊された箇所は碑文の70%に及んだ[11][12]

ヘレニズム時代の墳墓跡

ハールク島に人類がいたことを示す考古学的証拠は、1898年に Captain A. W. Stiffe により初めて報告された[13][14]。彼の発見についての研究は、1910年に F. Sarre 及び E. Herzfeld により出版された[15]。彼らが発見したのは、切り出された石からなる2つの墓であり、それぞれにアーチ状の出入り口を持つ20余りの小規模な玄室と、これらに連なるメインホールがあった。南側の墓の深さは、13メートル (43 ft)。くつろいで酒を飲む男性の浮き彫りがあった。また、これとともに、損傷しているがニーケーと推定される浮き彫りも頂上部が球状になった柱の表面にあった。これらの浮彫はパルミュラセレウコス朝-アルシャク朝の様式であるとされるが[15][16]、異説もある。Mary-Joseph Steve は、出土した2つの墓が、パルミュラの様式よりもペトラに見られるナバテアの建築を思わせるとした[17][18]

それまで、83基の石を切り出して作られた墓と、63基の石柱墓が研究されてきたが、Mary-Joseph Steve によると、石を切り出して作られた墓は4種類に分けられる。単室のもの、多様な形状の浅いところにあるもの、穴状の墓、そして(ハールク島で発掘されたような)多室複合墓である。さらに Mary-Joseph Steve によると、ハールク島の出土墓群の中には、ネストリウス派キリスト教の十字架がいくつかあったという[17]。しかしながら、ネストリウス派の文献にはハールク島に言及したものがない[13]。また、中心に火を祀る大理石の祭壇を有した約7.5メートル (25 ft)の大きさの粗末な石の寺院の廃墟があった[17]

文献史学

9-10世紀のイブン・フルダーズビヒによると、ハールク島はバスラからオマーン、インド方面へ向かう船の寄港地として、穀物やブドウ、ナツメヤシの積出港として知られているという[2]。982年頃に書かれた Ḥudūd al-ʿĀlam英語版(『世界の境界の書』)には、良質な真珠を産する島として言及されている[13]。12-13世紀のヤークート・ルーミーはハールク島を何度も訪れており、島にムハンマド・イブン・ハナフィーヤの墓とされる場所があって巡礼者が参詣していると記している[2]

1665年にはフランス人の旅行家ジャン・ド・テヴノ英語版が訪れ、カナートが古代の灌漑跡ではないかと記録を残している[13]。1753年にオランダが交易所と砦を築いたが、1766年にバンダレ・リーグの総督により占領された[19]。1838年のヘラート包囲英語版の際にはイギリスに一時的に占領された[13]

真珠漁

1920年代まではこの島の周辺は、天然真珠漁がさかんな海域だった。1920年代まで、天然真珠は高値で取引されていたのである。

だが、1929年世界大恐慌により真珠の需要が消し飛んだ。さらに、(ペルシア湾の真珠産業にとっては)折悪しく日本で真珠の養殖が成功し、1920年代から御木本幸吉らによる養殖真珠の量産が本格化する。1920年代末にはニューヨークパリといった真珠の大消費地に日本産養殖真珠を販売する店が出店されるにいたり、ハールク島を含むペルシア湾の真珠漁は壊滅した。

石油積出港

英外相ハーバート・モリソン(左)、イラン首相モハンマド・モサッデク(右)

天然真珠漁に代わって有望な産業として台頭したのが石油の輸出・積み出し港湾としての役割である。

1950年代以前はイギリスがイランの石油権益を握っていた。しかし中近東の国々でナショナリズムが勃興し、反英的政策が採られ、国際的な緊張を生んだ。イランのモハンマド・モサッデク政権は、イラン国内にあるイギリス国策会社のアングロ・イラニアン石油会社(AIOC)の国有化を強行したが、イギリスと補償協議を行おうとしなかった。このためイギリスとイランとの間で緊張が高まった(アーバーダーン危機)。イギリス外相のハーバート・モリソンは、イランと戦争をも辞さないという強硬な姿勢でイランと対峙した。アメリカ合衆国は当初静観し、イギリスとイランの仲介を試みた。これが変化したのが1953年ドワイト・D・アイゼンハワー大統領となった際のことである。彼は、東側陣営との対立(冷戦)の遂行を考えており、CIAにイランの政権転覆を命じた。その結果モハンマド・モサッデクアジャックス作戦: TPAJAX Project[20])で失脚し、CIAとMI6皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーに国の実権を握らせ、親米政権が成立した。1956年に、アメリカの支援を受けてガチサラーン油田英語版からパイプラインで引き込んだ石油を貯蔵するための施設の建設が始まった[13][21]1959年に完成した原油貯蔵施設の運用開始。1970年代半ばには大規模な石油ターミナル3つと天然ガスターミナル1つを有し、50万トンまでの大きさのタンカーがターミナルを利用できるようになった[13][22]。その結果、ハールク島はイラン製石油の主要ターミナルとして、また世界最大級の設備を擁することとなり、1980年代までイラン製石油の90%を取り扱った[23]

しかしながら、1980年から1988年にかけてのイラン・イラク戦争イラク空軍により2800回以上に及ぶ空爆を受け、1986年の秋にはほとんどすべてのターミナル施設が破壊され、使用不能になった[24]1988年の終戦後も復旧は遅々として進まなかった。なお、戦争中にハールク島に係留されていた船が損傷を受けたことに関連して、イギリスの契約法に関する判例The Kanchenjunga [1990] 1 Lloyd's Rep 391 が出た。

2009年に、イランは9億5000万バレルの原油を南ハールク石油ターミナルから輸出又は取引した[25]。2012年のイランの原油の約98%の取り扱いがハールク石油ターミナルで行われた[26]

2012年、(イランの核問題やイランに対する制裁、原油輸出制限に世界の人々の関心が集まる中)日本のNHKがハールク島の石油積み出し施設や島内の様子を現地取材し、報道番組で放送した。 日本も2010年代前半までカーグ島で積み出された石油を輸入しており、その量は、日本の石油総輸入量の5〜10パーセントほどを占めていた。だが2019年の米国の対イラン制裁に歩調を合わせ、日本もイランからの原油の輸入を停止し、減った分は、イラン以外の国々(UAE、サウジアラビア、クウェートなど)から輸入している。ただし、この島が破壊されると、市場における原油価格が跳ね上がり、他国から輸入するようになった日本も結局は原油価格の上昇で経済的損害を被る、という構造となっている。

カーグ島は(1980年代や1990年代から)イランの石油輸出の9割を担う石油積み出し基地であるが、特に2000年代にイランに対する制裁が行われイランと他国との経済的なやりとりが細ってからは、「イラン経済の生命線」となった[27]。 ただし、石油輸出制限に関して、経済成長により世界最大の石油消費国となった中華人民共和国は、表向きはイランから輸入していないフリをしつつ、実際にはイランからマレーシアを経由させて"マレーシア産石油"という名目でイラン産石油の輸入を続けており、現在のイランにとっては石油の最大の輸出相手である。

石油の積み出しは、2026年イスラエルとアメリカ合衆国によるイラン攻撃の最中も行われていたが[28][29]、2026年3月13日、アメリカのドナルド・トランプ大統領は一連のイラン攻撃の中で、カーグ島(ハールク島)への攻撃をSNSを通じて発表。その中では、攻撃は軍事施設が対象であり「私は島の石油インフラを破壊しないことを選んだ」としている[30][注 3]

ギャラリー

脚注

注釈

  1. 日本の報道では通常、ハールク島とは表記されていない。
  2. イラン本土の海岸付近は浅瀬になっており大型の石油タンカーが近づくと座礁してしまうので、沖合25キロメートルの十分な水深のある海域にあるこの島が石油積出港に適していると判断された。
  3. 石油積出施設まで破壊すると、世界の原油市場で原油価格が跳ね上がり、連動してアメリカ国内のガソリン価格まで跳ね上がることになり、自動車社会であるアメリカの国民のほとんどがガソリンスタンドに立ち寄るたびにトランプに対して強い怒りを覚えることになり、トランプ政権の支持率が低下し、2026年11月の中間選挙に悪影響が及び共和党が議席を多数失い、そうなると議会で法案も通らず政治的な力がすっかり失われてしまうと予想されるので、それを恐れてトランプもとりあえず石油輸出が不可能になるほどに島を破壊することは止めた、と見られている。それでも、イランの軍部や後継指導者に対して、"言う通りにしないなら、米軍はカーグ島の石油輸出施設も破壊できるぞ、イラン経済を破壊できるぞ" とイラン側(軍部や政権)を脅す(脅迫する)ことで、イラン側と今後、トランプの言う"ディール"(取引)をして、事を有利に運ぼうとしている。

出典

  1. 1 2 3 4 “Kharg Island”. Encyclopaedia Iranica. 2015年9月15日. 2026年3月11日閲覧.
  2. 1 2 3 4 Rentz, G. (1978). “Khārag”. In van Donzel, E. [英語版]; Lewis, B.; Pellat, Ch. [英語版]; Bosworth, C. E. [英語版] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume IV: Iran–Kha. Leiden: E. J. Brill. pp. 1056a – 1057a.
  3. “カーグ島:用語辞典”, JOGMEC JOURNAL (独立行政法人 エネルギー・金属鉱物資源機構) 2026年3月11日閲覧。
  4. آل احمد، جلال، جزیرهٔ خارگ، درّ یتیم خلیج؛ چاپ سوم؛ تهران: امیرکبیر، ۱۳۵۳، صص۵۲ و ۵۱.
  5. What is Kharg Island? The Iranian Island That Handles 90% of the Country’s Oil Exports but Remains ‘Untouched’ in the US-Israel-Iran War”. SundayGuardianLive. 2026年3月15日閲覧。
  6. “[aljazeera.com/features/2026/3/11/the-orphan-pearl-inside-kharg-the-beating-heart-of-irans-oil-empire The ‘orphan pearl’: Inside Kharg, the beating heart of Iran’s oil empire]”. Aljazeera.com. 2026年3月14日閲覧。
  7. Why Iran’s vital Kharg Island oil hub is still untouched by US-Israel bombers”. 2026年3月14日閲覧。
  8. :: پورتال شهرداری خارک :: Khark Municipality Portal ::
  9. 1 2 “Newly Found Old-Persian Cuneiform Inscription of Kharg Island Deciphered”. Iranian Cultural Heritage News Agency. (2007年12月8日). オリジナルの2011年9月29日時点におけるアーカイブ。 2011年3月3日閲覧。
  10. خبرگزاری میراث فرهنگی - کتیبه خارک، سندی دیگر بر تایید نام خلیج فارس، تخریب شد.
  11. 1 2 “Khark island's Achaemenid inscription seriously damaged”. Payvand News. (2008年6月1日) 2015年3月22日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  12. 1 2 “تخریب کتیبه هخامنشی خارک”. رادیو زمانه. (2008年5月31日) 2015年4月3日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  13. 1 2 3 4 5 6 7 Potts 2004.
  14. Stiffe, Captain A. W., "Persian Gulf notes. Kharag island," Geographical Journal 12, 1898, pp. 179-82. Sykes, P.M., A history of Persia, vol. 2, London, 1915.
  15. 1 2 F. Sarre and E. Herzfeld, Iranische Felsreliefs, Berlin, 1910.
  16. Haerinck, E., "Quelques monuments fune‚raires de l'île de Kharg dans le Golfe Persique," Iranica Antiqua 11, 1975, pp. 144-67. Idem, "More pre-Islamic coins from southeastern Arabia," Arabian Archaeology & Epigraphy 9, 1998, pp. 278-301. Handbuch des Persischen Golfs, 5th ed., Hamburg, Deutsches Hydrographisches Institut, 1976.
  17. 1 2 3 Steve, M.-J., "Sur l'île de Khârg dans le golfe Persique," Dossiers d'Arche‚ologie 243, pp. 74-80, 1999.
  18. Steve, M.-J., et al. L'ille de Kharg. Une page de l'histoire du Golfe Persique et du monachisme oriental. Civilisations du Proche-Orient, Gent, Serie I, Archeologie et Environnement, (Forthcoming)
  19. Abdullah, Thabit (2001). Merchants, Mamluks, and murder: the political economy of trade in eighteenth century Basra. Albany: State University of New York Press. ISBN 978-0-7914-4808-3 2011年3月3日閲覧。
  20. 作戦名はギリシア神話の英雄アイアースを意味する
  21. Steve 1999, p. 74.
  22. Handbuch des Persischen Golfs 1976, p. 195.
  23. Tony Holmes & Bruce Hales (2003). “THREE TO ONE”. IRANIAN F-14 TOMCAT UNITS IN COMBAT (first edition ed.). Ospreypublishing,London
  24. با مکافات یک قطره نفت صادر می‌کردیم دیپلکماسی ایرانی
  25. “Kharg Oil Exports”. Iran Daily. (2009年). オリジナルの2009年5月22日時点におけるアーカイブ。 2011年3月3日閲覧。
  26. Iran increases oil storage capacity to foil EU sanctions”. Presstv.com. 2012年11月28日閲覧。
  27. イラン情勢を左右する「禁断の島」 石油インフラ集中のカーグ島とは”. 毎日新聞 (2026年3月14日). 2026年3月14日閲覧。
  28. 国連制裁復活でも対中国原油輸出継続=イラン石油相”. ロイター (2025年9月25日). 2026年3月14日閲覧。
  29. ホルムズ危機の「裏ルート」…イラン原油1000万バレルが中国へ”. 江南タイムズ (2026年3月13日). 2026年3月14日閲覧。
  30. トランプ、イラン・カーグ島を爆撃し「軍事目標を破壊した」と発表。次は石油インフラが標的と警告”. huffingtonpost (2026年3月14日). 2026年3月14日閲覧。

参考文献

  • Potts, D. T. (2004年7月20日). KHARG ISLAND”. Encyclopaedia Iranica. 2012年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月24日閲覧。
  • Handbuch des Persischen Golfs (5th ed.). Hamburg, Deutsches Hydrographisches Institut. (1976) 
  • Steve, M.-J. (1999). “Sur l'ile de Kharg dans le golfe Persique”. Dossiers d'Archeologie 243: 74-80. 

関連項目


ハールク島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 23:47 UTC 版)

ブーシェフル州」の記事における「ハールク島」の解説

イラン・イラク戦争において、イランの主要石油積出港たるフーゼスターン州の諸港は大きな損害をうけ、ハールク島は石油輸出代替港として選ばれ、その機能果たした。ただし、ハールク島もイラク軍空襲免れなかった。

※この「ハールク島」の解説は、「ブーシェフル州」の解説の一部です。
「ハールク島」を含む「ブーシェフル州」の記事については、「ブーシェフル州」の概要を参照ください。

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