ハンマームの普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:53 UTC 版)
イスラーム世界の都市では、ハンマームはモスク、神学校(マドラサ)に次いで重要なものだと考えられている。かつては各街区に必ずモスクや市場(スーク、バザール)とともにハンマームが存在し、多くのハンマームがワクフ(寄進財産)として維持建設されてきた。ハンマームの数の推移はその都市の盛衰を反映し、都市人口と発展の度合いを推定する根拠ともなる。それらの公衆浴場とは別に、国家の君主・有力者は宮殿や自宅に私的な浴場・浴室を建設した。 トルコのハマムにはイスラームの習慣に合わされたビザンティン建築の技術が導入され、建築技術は早期に発達した。17世紀半ばのイスタンブールには14,838のハマムが存在し、うち302が公衆浴場、残りの14,536が宮廷と富裕層が所有する浴場だった。 イスラム式の浴場は中東以外にインド、マグリブ、アンダルシア地方にも建設され、その址が残る。マリーン朝、ナスル朝時代にマグリブに建設されたハンマームの遺構は現代に残り、エジプトのアイユーブ朝が建設したハンマームとの共通点も指摘される。デリー、ハイデラバード、ボーパールでは、16世紀初頭にムガル帝国によって建設されたハンマームが現在も営業を続けている。
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