ハワイでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 07:12 UTC 版)
「ラーズ・アンダーソン」の記事における「ハワイでの活動」の解説
1983年、前年に死去したピーター・メイビアの未亡人リア・メイビア(ザ・ロックの祖母)に招かれ、ヘッド・ブッカーとしてハワイのポリネシアン・パシフィック・レスリング(PPW)に参画。ピーター・メイビアの死後、開店休業状態だった同団体の再建に尽力する。 1985年8月3日にはアロハ・スタジアムにおいて、NWA(世界王者リック・フレアー、ダスティ・ローデス、マグナムTA、ニキタ・コロフ、クラッシャー・クルスチェフ、ケビン・サリバン)、WWF(アンドレ・ザ・ジャイアント、ジミー・スヌーカ、キングコング・バンディ)、新日本プロレス(アントニオ猪木、藤波辰巳)、さらにはフリーランスのブルーザー・ブロディなど、各団体からトップスターを招聘してビッグイベントを開催、2万人近い観客を動員した(アンドレらWWF勢は新日本プロレス経由のブッキングだったが、当時のアメリカのマット界はWWFとNWAのレスリング・ウォーが激化しており、両団体の選手が同じ興行に出場するのはアメリカ本土では実現不可能なことだった)。 選手としてもリングに出場し、メイビアの娘婿のロッキー・ジョンソンと共にPPWのエース格となって活躍。1983年から1986年にかけて、バッドニュース・アレンらを破りフラッグシップ・タイトルのポリネシアン・パシフィック・ヘビー級王座を通算5回獲得した。新日本プロレスと提携していたことから、1984年8月15日には坂口征二と組んで同タッグ王座にも戴冠している。 以降もジェリー・ローラーやケリー・フォン・エリックら大物をブッキングするなど手腕を振るっていたが、団体の運営を巡りメイビア派とトラブルを起こしPPWを脱退。選手の供給ルートを失ったPPWも1988年に活動を停止した。 その後、1996年にレスリング・アカデミー併設のインディー団体ワールド・リーグ・レスリング(ハーリー・レイスが主宰する同名の団体とは別組織)をハワイで旗揚げし、2000年まで運営していた。
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