ハレ大学時代(1886年 - 1901年)
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「エトムント・フッサール」の記事における「ハレ大学時代(1886年 - 1901年)」の解説
1886年 ルーテル教会に改宗。ブレンターノの推薦で心理学者のシュトゥンプがいるハレ大学へ行く。 1887年 教授資格論文「数の概念について―心理学的分析―」により教授資格を取得。この論文が、のちに出版される『算術の哲学』のもとになる。 1891年 『算術の哲学―論理学的かつ心理学的研究―』第1巻。 ゴットロープ・フレーゲ、パウル・ナトルプから心理学主義を批判される(フッサール自身もこの批判を受け入れ、心理学主義的な考えを捨てたため第二巻の出版は断念され未完)。 1900年 『論理学研究』第1巻「純粋論理学序説」。 『算術の哲学』から一転して心理学主義に徹底した批判を加える(1913年の第2版でも大きな改訂はない)。 1901年 『論理学研究』第2巻「現象学と認識論のための諸研究」。 ナトルプやヴィルヘルム・ディルタイから好評を博し、当時ミュンヘン大学にいた若手心理学者たちがこれを読んでフッサールのもとへ走り、「ミュンヘン現象学派」を形成する。 6つの研究からなるこの第2巻は2部に分けられており、第1部(第1~第5研究)は1913年に、第2部(第6研究)は1921年にそれぞれ第2版が出るが、この増補改訂の中でフッサール自身の現象学についての考え方が大きく変化しているため(1913年は『イデーン』I出版の年でもある)、フッサールを理解するための難点の一つとなっている。
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