ハリプンチャイの攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 16:44 UTC 版)
マンラーイは、チャオプラヤー川支流のピン川沿いにある都市国家・ハリプンチャイから来たモン族商人から「莫大な利益をもたらす中国との貿易は、内陸部よりはむしろ、大量に輸送が可能な商船が来やすいタイランド湾に通ずるチャオプラヤー川の支流を掌握した方が良い、つまり、上流から運べばチャオプラヤー下流に来ている中国船と商売ができる」という話を聞き出し、ハリプンチャイの領有を画策する。 マンラーイは1287年までに軍備を増強しハリプンチャイの都市の一つ、ファーンを要塞化、パヤオのガムムアンやスコータイのガムムアンと同盟を結び、南方と東方の安全を確保した上で、スパイのアイ・ファーという人物をハリプンチャイに送り監視させた。1292年にアイ・ファーの合図と共にハリプンチャイに侵攻、陥落させた。 マンラーイはこの後、2年間ハリプンチャイを統治したがアイ・ファーに統治を任せて放棄し、しばらくの間ウィエンクムカーム(英語版)に首都を建設しようとして滞在した。その後ドーイ・ステープ(英語版)(現在のドーイ・ステープ=プイ国立公園)付近に都市の建設に好ましい土地を見つけたためそこへ移転する。これが現在のチエンマイである。
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