ハリケーン・カトリーナ後のフェスティバル
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「ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル」の記事における「ハリケーン・カトリーナ後のフェスティバル」の解説
2005年8月29日、ハリケーン・カトリーナでニューオーリンズは市の80%が浸水する壊滅的な被害を受け、フェアグラウンズ競馬場も水没してしまった。当初は翌年のフェスティバル開催は絶望的と見られていたが、ハリケーンの2週間後、クイント・デイヴィスは以下の通りコメントしている。「いつ、どこで、どのような形式で行うかは判らないが2006年のジャズフェスは開催される。ニューオーリンズになるべく近いルイジアナ州内で開催する予定だ。」 結局、2006年のフェスティバルは従来の会場で、ほぼ例年通り開催された。但し、日程は1日短縮され、例年であれば多く企画される公式のナイト・コンサートも殆どなかった。ブルース・テントがなくなったことにより、ステージ数もひとつ減った。 また、ニューオーリンズに戻れない市民が多い現状を反映し、地元の常連ミュージシャンの不参加も目立った。特に、例年メイン・ステージのトリを務めていたネヴィル・ブラザーズの欠席は、フェスティバル運営の難しさを印象付けた。また、ソウル・レベルズのように、フェスティバルに合わせて遠路からメンバーが終結したバンドもあった。 ネヴィル・ブラザーズに代わってトリに組まれたのは、ファッツ・ドミノであった。しかし、彼は当日になって体調不良を訴え出演をキャンセル。病院に寄ったあと会場に姿を現した彼は、演奏はしなかったものの、ステージから観客に謝罪した。 フェスティバルが無事開催に漕ぎ着けた背景には、2006年より新たに主要スポンサーとなったシェル石油の存在が大きいと言われている。同社が支払った額は公開されていないが、フェスティバル会場では同社のロゴ・マークがかなり目立っており、その金額は少なくなかったとみられる。一方、ゴスペル・テントのスポンサーを長年務めてきた地元のローズ葬儀社が撤退し、保険会社のAIGが後任スポンサーとなるという変化もあった。なお、シェルはフェスティバルのスポンサーを2010年まで継続することを表明している。シェルは2022年現在、引き続きスポンサーを務めている。 2006年のフェスティバルの集客について、公式な入場者数は公表されなかったものの、クイント・デイヴィスによると前売りベースで、前年の2/3程度であったという。また、2007年のフェスティバルでは、6日間の入場者数は2003年以降最高となる375,000人を記録した。 2008年には、日程が7日間開催に戻り、メイン・ステージのトリにネヴィル・ブラザーズが戻るなど、被災前の規模、内容への回復傾向が見られた。
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